50円あれば教えの真髄を知れる!?

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです。

今日は同級生の結婚式に行ってきました。
やっぱり結婚式ってイイですよね。
愉快な仲間たちに囲まれてビールが飲めるだけで幸せなのに、それに加えて新郎新婦のハッピーな姿を見てると、これ以上の幸せってあんまり想像できないですよね。

なんというか、シンプルにありがたいです。

そんなことを考えながら、今日もひねくれたキワモノ記事を更新してまいります。
今回は50円あれば天理教の教えの真髄を知ることができますよ、ってはなし。

早速いきましょう。

MEMO

この記事は澤井勇一先生の「たすけ一条・はなし一条—『天理教教典』と『信者の栞』—『天理教校論叢』第40号にインスパイアされて書いております。興味のある方はぜひ!

 

そもそもの問題意識としてですね

わたしがこのブログをやっている問題意識として「教えがズレてんじゃないの??」ってのがあるんですよね。

ほんまにそれって天理教なん???????

って思うことが昔から多々ありまして。
そのあたりの問題意識については、この記事に書いてるので時間あるときにでも読んでみてください。




教理を勉強して混じりけのない天理教の教えを味わいたい

で、そんな問題意識のもと、色々とお勉強してるうちにこんなの見つけました。

昭和42年に書かれた本からの引用です、昭和42年。

 

時代が変わったせいか、説かれる教理もずいぶん変わってきました。もはや私などは時代おくれというか、話が古い、と思っております。大学生の孫に何か言うと「おばあちゃんは頭が古いからよ」ときめつけられます。でも天理教は、変わってはならんと思います。ちがってはならんと思います。お日様は今なお、東から出て西におはいりになるのです。そして今後も……。これが西から出て東にはいるなら、信仰も変えてよろしい。ちがってもよろしい。しかし、東から出て西に治まっていただいている間は、「貸物借物」と「八つのほこり」これよりほかにありません。「貸物借物」「八つのほこり」これを台にして、いろいろ説き明かしてよろしいが、あまり化粧しすぎると、変わってくるのではないか、ちがってくるのではないか、と私のような無学なものは思います。
あまり学問的に、常識的に、いろんなことをお入れになるから、親神様の本当のみ教えがわからない。それよりも、かなにかなをつけた親の言葉をそのまま申し上げた方が、聞いていてばかばかしいみたいだけれども、一番よくわかるのではないでしょうか。一番その人のためになり、子孫のためにもなる。道もなせば、おたすけもあがると思います。

吉福ヤス『病いと心』養徳社、昭和42年、p2~3

昭和42年に、すでに「説かれる教理が変わってきた」という問題意識があるんですよね。

びびるよね。

 

ちょっとこの図を見てください。

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昭和20年に終戦を迎えるとともに、天理教はもともとの教えに立ち返る「復元」という動きが起こります。

復元とは、簡単に言うと教えを元に戻すってこと。

そもそも、昭和13年から昭和20年までは「革新」と呼ばれる時代で、戦時体制のもとで、この時代は天理教本来の教えが説けない時代だったんです。「おつとめ」の内容がカットされたり、「みかぐらうた」の一部が禁止されたり、政府から教理の改変を迫られていました。

昭和20年に終戦となり、その後日本国憲法によって信教の自由が認められました。
自由に信仰できるようになり、教えももとに戻すことができたというわけです。

 

「復元」によって教理体系が整えられていったんだけども・・・

この復元の動きの中で、教理体系が整えられていきました。もともと明治41年の一派独立の頃から、政府の宗教政策によって、天理教は本来的な教えを説くことができなかった。

そんな状況だから、おおやけに教理体系を整えて公表することがずーっとできなかったんですよね。

なので、当時のインテリ層からしたら、天理教は田舎の民衆宗教で、たいした教理体系も持っていないように思われていた。天理教の社会的評価は低かったんです。

こういった時代背景から、復元をきっかけにして、天理教の教理体系が整えられていきます。終戦後、社会システムが大きく変わっていく中で、インテリ層の社会的な評価を解決していかないことには、天理教の広がりもない。

ある意味で、インテリ層に向けた動きもあったんですよね、この復元は。
そうすると、これまでシンプルだった教えが、ちょっと肉付けされてくるわけです。

こうした状況を吉福ヤス先生は、

「あまり化粧しすぎると変わってくるのではないか、ちがってくるのではないか」

「あまり学問的に、常識的に、いろんなことをお入れになるから、親神様の本当のみ教えがわからない。」

といった言葉で表現されているではないかと思います。

 

化粧される前のシンプルな教えって何よ??

吉福ヤス先生いわく、

「貸物借物」と「八つのほこり」これよりほかにありません。

です。

確かに、昭和20年以前においては、もう本当にこればっかりなんですよね。
説かれる教えは「かしもの・かりもの」「八つのほこり」が中心にありました。

一例を挙げてみます。

幾太郎はそれを読み上げてりんに聞かせた。そこには、身の内かしもの・かりもの、八つのほこり、いんねんの諭しが書かれてあった。三日三夜のお願いをする時、必ずこの教理を胸におさめてからお願いするようにと、添え書きがしてあった。

『誠真実の道・増井りん』p4

 

天理教におきまして、お話の台とするところは教祖のひながた、かしもの・かりもの、八つのほこり、それからいんねんを果たすというところに帰着するのであります。

宮森与三郎「だめの教」『本部員講話集・上』p20

こんな感じで、昔は「かしもの・かりもの」「八つのほこり」ばかりだったんですよ。

昔はかしもの・かりものばかりが説かれまくってたんです。



話一条でたすかるってどういうこと??

 

教えの真髄といえば「かしもの・かりもの」「八つのほこり」でしょ

もうね、天理教の教えって「かしもの・かりもの」「八つのほこり」抜きには語れないというか、それでしょ、教えの真髄は。

おふでさきにも、

めへ/\のみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん(三号 137)

とあります。

おさしづにもあります。

  • 人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる。(明治21年7月4日)
  • 人間というものは、皆かりもの。この理を分からんや、何にもならん。身のかりもの八つのほこり一時分からんやならんで。(明治21年7月24日)

てな感じで。

 

「かしもの・かりもの」「八つのほこり」って今そこまで強調されてないよね

今の天理教内の雰囲気として「かしもの・かりもの」「八つのほこり」ってそこまで強調されてないですよね。

それはなぜか?
実は、もとをたどればその原因は「復元」にあります。

上でも書きましたが、「復元」はちょっとインテリ層向けの部分もあった。

例えば『天理教教典』ってありますよね。
これは昭和24年に出されました。

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で、正直、『天理教教典』って結構難しくないですか?

『天理教教典』は天理教の教理体系がとてもよくまとまっていると思います。
めちゃめちゃ完成度の高いものです。決して間違ったことが書いてるわけではないですし、教えから逸脱しているわけでもない。

でも、語弊を恐れずに言えば、教理体系が網羅されすぎていて、どこが強調点かわからない。
その結果として、シンプルだった天理教の教えが厚化粧に見えてしまう。

「あまり学問的に、常識的に、いろんなことをお入れになるから、親神様の本当のみ教えがわからない。」

と、なってしまうわけです。

 

スッピン見てみたくないですか?50円あれば見えます。

そこからさらに時は流れて、なうです。
さらに化粧に化粧を重ねた結果、もはやヤマンバですよ。

何やってるんだよ、と。
もっとシンプルだろ、と。
化粧落とそうぜ、と。

化粧落としたら天理教はどんな顔してるんだろう?
スッピンを見てみたくないですか?

実は50円で見れます。

煽ってるわけじゃなくて、マジのはなしで。

これ!!!

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『信者の栞』です。

こいつはマジの優れもので、超スッピンなんです。
これさえ読めば、天理教の教えの真髄を知ることができます。

 

『信者の栞』っていつからあるの?

目次はこんな感じ。

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『信者の栞』、これ、実は昭和21年に出されてます。

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天理教教典よりも前に公刊されてるんです。

復元に入ってすぐ。なぜこのタイミングで公刊されたかというと、その理由は「みかぐらうた」にあります。

革新の時代、「みかぐらうた」は、政府の指示で全教会から取り上げられていた。そこで、終戦後一刻も早く全教会へと「みかぐらうた」を行き渡らせるように『信者の栞』が作成されたというわけです。

『信者の栞』の目次を見ると、一番初めに「みかぐらうた」が載っているのはそういう理由からなんですね。

 

でも今回の主役は「みかぐらうた」の部分ではないのだ

「みかぐらうた」の後に載ってる、これらの部分。

  • 親神様の御守護
  • かしもの・かりもの
  • 八つのほこり
  • 誠真実

こっちがね、素晴らしいの。

もともとこの部分は『正文遺韻』の中にある「教の理」(p152〜158)ってタイトルのところがベースになっています。

MEMO

『正文遺韻』
諸井政一の手記をまとめて出版したもの。著者諸井政一は山名大教会初代会長諸井國三郎長男として明治10年に出生。明治21年暮、12歳でおぢばの人となった。生来の向学心から教会本部の先生方から聞き書きしたものをまとめ、自ら作成した用紙に書き記した。
『天理教事典』p478から一部抜粋

で、細かい話はカットしますが、この「教の理」って部分は明治30年に書かれています。
まだまだ教祖から直接お話を聞いた先生方がバリバリの時代。

そうした先人の先生方からお話しを聞いたものをまとめたものが「教の理」なんです。

で、この「教の理」をベースにした文章が『信者の栞』に載っている。

 

まとめ

図にまとめてみると、こう。

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この流れを見たら一目瞭然ですよね。
『信者の栞』を読めば、とっても混じり気の少ない、厚化粧をする前の教えを知ることができるというわけです。

で、そこに書いてある話の中心的な内容は「かしもの・かりもの」「八つのほこり」。
これぞまさに天理教の教えの真髄!!!

それが50円もあれば手に入るんですから、これはもうマストアイテムですね。

ぜひ50円握りしめて、道友社の本屋さんいってください。

 

 

「あの、税込で54円です。」って言われるかも( `・ω・´)ノ

 

今日も成人しましょう!

MEMO

追記:70円になっているみたいです。情報提供ありがとございます( `・ω・´)ノ