ぼくは「おかきさげ」こそが天理教の判断軸だと思う

こんにちは。ダメダメようぼくのひさまつです。

全身筋肉痛です。

おととい野球をしたせいです。

もうおっさんです( `・ω・´)ノ

おっさんといえば、自分が精神的に丸くなったなぁと思います。(※体型的にも)

おとといは26日だったので月次祭に参拝に行って、そのあとコムヨシブログを書いている先輩が青森から来ていたのでご飯を一緒に食べに行きました。

最近のブログの記事で「ぶん殴りたいやつとのコミュニケーションのあり方」について書かれていて、それがおもしろかったんですが、要約すると、

・これまで意見が合わない人とは話し合うと喧嘩になってしまうことが多かった
・でも最近はそうはならない
・それは自分の軸ができてきたから
・自分の軸ができると、相手の思想を感情ではなく軸で聞くことができるようになる
・すると相手の思想を受け止めることができるようになる
・だからケンカにならずに済む

というお話でした。

 

実は僕自身も同じような感覚を経験したことがあります。

ぼく自身、ひたすらかみ合わないなぁという経験は死ぬ程してきていますし、特に本科に行く前はめっちゃありました。で、話がかみ合わないと最初は「なんで伝わらないんだろう」とイライラしてたんです。

何か自分ではうまく言語化できないんだけれども、今の天理教のあり方はなんか違う。このままの組織だとダメだ、というモヤッと感。

でも何がダメなのか自分の中で具体化できない。言語化できない。

そんなもやっと感を解消したかったのもあって、本科に行ったんですよね。

で、ぼくの場合は本科に行ったことで軸ができたんです。そしたらずいぶん楽になりました。

 

 

ぼく自身の判断軸・思考軸は何か?

これまで何度もこのブログでお伝えしてると思うんですけども、僕はひたすら、ただひたすらに「おかきさげ」を推しています。

「おかきさげ」に書いている内容こそが天理教の信仰の軸となる考え方であり、天理教の方向性をデザインする軸であり、あらゆる判断軸のゴールになると思っています。

 

「おかきさげ」の内容とは、簡単にまとめると、

・身体は親神様からの借りもの、心だけが自分のもの
・自由に使えるその心を見て親神様がご守護くださる
・心の使い方を良いものにすることがようぼくは大切
・良い心遣いとは「誠」の心のこと
・誠とは人の喜びを自分の喜びに変える心と体の使い方=生き方

こんな感じです。

 

ぼくはこれが天理教の教えの本質だと思っているんですね。
(「おかきさげ」については別の記事でも何度も書いてるので、そちらに詳しい解説は譲ります。)

「おかきさげ」ベースの信仰が天理教の信者としての生き方、目指すべき目的です。そしたら他のことは方法の話なんですよね。目的以外はすべて方法です。

となると、事情教会が増えてきたから何とかしなければならないとか、行事に人が集まらないから何とかしなければならないとかという議論は、方法論についてのことなんですよね。

僕は天理教の本当の問題点は組織がどうこうとか、教会に人が集まらないといった次元の話ではなく、本当に大事な教えがあるのにその大事さを認識されていないところにあると思っています。

ズレてるんです、論点が。

方法論なんてのは、もっとも効率的に望む結果が得られれば何でもいいわけです。簡単にいえばコスパ。

教会運営がどうこうとかそういうのはあくまでも方法論でしかない。その方法は時代によっていくらでも変えていい。

洗濯するのは服をキレイにしたいから。今時、洗濯するのに洗濯板使ってる人いないですよね?時代とともに最適な方法は変わります。変えればいいんです。方法論なので。

でも、方法論ばかりにとらわれてしまっているので現状の停滞がある。

 

あと、今の活動がコスパ悪いなぁって気づいている人も、そろそろ「組織が悪い」なんて議論からは抜け出そう。 組織が悪い、機能していないなんてのはもう今に始まったことじゃないし、それに気づいている人は次のステップに行こう。気づいている人から変わらないと結局何も変わらないと思う( `・ω・´)ノ

組織がどうこうは方法論レベルの議論だし、組織が悪いならじゃあどうするの?って議論。

・組織は方法論だよね、じゃああなたは新しい方法論として何を提示するの?
・そもそも新しい方法論を選ぶときに「これが正解だ!」って判断する思考軸は何なの?

これに対する答え、ありますか?

 

ぼくは「おかきさげ」を提示します

ぼくはその答えとして、「おかきさげ」を提示します。

  • 「おかきさげ」が天理教の信仰者として大事なんだから、「おかきさげ」の判断軸をもって信仰する人を増やしたい。
  • 教会がどうこうとか理の親がどうこうとか、方法論レベルの些末なことで悩んで信仰が楽しめない人、信仰をやめてしまう人に「本当は天理教ってくそ楽しいじゃん」「この人生って本当は超楽しいんだ!」って心から感じてほしい。

 

これからもただひたすらに天理教は「おかきさげ」やで( `・ω・´)ノって言い続けていこうと思います。

100年後、「おかきさげ」が判断軸になって活動している天理教になっているといいなぁ。

 

なんだかまとまりのない話なってしまいましたが、まとめると

・カレーっておいしいよね( `・ω・´)ノ

って話でした。

今日も成人しましょう!

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