つくし・はこびをするときはアレとコレが大事なんだとさ

こんにちは、ひさまつです。

前回、つくしはこびってのは教会に限定されないよ、日々を世のため人のため道のためにつくすことも神様は受け取ってくださるよ、って話をしました。

今回はその続編、つくし・はこびシリーズ第2弾。

「つくし・はこび」をするときには、気をつけておきたいことがあるんです。ちょっとした心構えというか、心がけというか。

野球で言うなら、ただキャッチボールすればいいってもんじゃなくて、軸足がブレないようにとか、しっかり腕を振ってとか、意識をもって練習することが大切なんですよね。

それと同じで、「つくし・はこびをする時は、○○を心に治めてやってね」っていう神様からのアドバイスが「おかきさげ」の中にあります。

早速みていきましょう。

これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め

おかきさげに、

これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め

という一文があります。
ちょっと意味が分かりにくいところですよね。

でも、この一文をよくよく解釈してみると、つくし・はこびをするときに気をつけておきたいことが見えてくるんです。

注意

ちなみに、この一文については、松山常教先生が「「おかきさげ」の解釈について」(『天研』第10号)という研究論文を発表されています。今回の元ネタはこの論文なので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

 

「おかきさげ」はフリーザと同じなんですよ、ザーボンさん、ドドリアさん

「おかきさげ」の解釈をするにあたっては、キーワードがあります。

「おさづけさしづ」

これまで何度かこのブログでも「おかきさげ」に関する記事を書いてきて、その記事にも「おさづけさしづ」は出てきてるので、過去の記事を読んだことがある方はピンときたかもしれません。

こちらの記事に「おさづけさしづ」って何ぞやってのを詳しく書いてますので、ぜひどうぞ。




信仰生活の基本!「おかきさげ」がとっても大切な理由

 

簡単に説明しておくと、

「おさづけさしづ」ってのは、「おかきさげ」のベースになった191件の「おさしづ」のこと。

「おかきさげ」は完成形なんだけど、そのプロトタイプが「おさづけさしづ」なのよ。

フリーザでいうところの、「おかきさげ」がフリーザ最終形態で、「おさづけさしづ」がフリーザ第1形態から第3形態にあたるってわけなのよ。

だからもちろん「おかきさげ」の戦闘力は1億2000万を超えるんですが、そんなことはどうでもよくて、結局のところ何が言いたいかっていうと、「おかきさげ」を解釈するには「おさづけさしづ」を見ればいいってことです。

てなわけで、「おさづけさしづ」を見ながら「おかきさげ」の例の一文を解釈していきます。

 

 

例の一文をフリーザに例えて解説してみる

例の一文ってのは、これのことね。

これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め

この一文が最終形態なわけですが、それが完成するまでの過程を見ていきましょう。

まずはフリーザ第1形態にあたる「おさづけさしづ」からご紹介します。
ザーボンさん、ドドリアさん、ご覧なさい。

 

第1形態:これまでの理は、めん/\心に治め

とりあえず次の2つの「おさづけさしづ」を見てください。

明治22年4月24日

さあ/\だん/\の席、さあ/\一日の日い/\一日の日い生涯の理を以ちて諭しよ。生涯の理は難し事は言わん言えんの理を聞き分け。人間というものは、身はかりもの、心一つ我がもの。たった一つの心、常という、常に誠の心治めば、内々睦ましいという。それ世界成程の内や、成程の人やなあと言う。常に誠は天の理や。天の理いなら、直ぐに受け取り直ぐに返やすは天の理である。常々誠一つの心が自由自在と。自由自在は何処にも無い。真の心に誠の理が自由自在。これまでの理は、めん/\心に治め。これよりたすけ一条のため、こうの一つの理を渡そ。さあ/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これ三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよ。しいかり受け取れ、さあ/\受け取れ。

 

明治22年3月12日

さあ/\これまでの処/\、だん/\の席一日の席/\生涯の席、生涯の理はよう聞き分け。難し事は言わん言えんの理を聞き分け。人間というものは、身はかりもの心一つ我がもの、たった一つの心より日々どんな理も出る。どんな理も受け取る中に、一つ自由自在という理を聞き分け。常に誠の心あれば内々睦まじいという理を出ける。世界成程の内や、成程の人やなあ、と言う。それ自由自在。又人を救けるという、真の心の誠の理が人を救けると言う、救かると言う。
この二つの理を一つにめん/\心に治め。内々も心に治め。これよりたすけ一条のためこうのう一つの理を授けよ。さあ/\あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これ三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよ。しいかり受け取れ/\/\。

 

赤字にしている部分、ここが「おかきさげ」では「これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め」になるところ。

注目したいのは、「これまでの理」「この二つの理」ってありますよね。

「これまでの理」ってのは、その前の部分で諭されている内容を指してるんです。
こんな感じ。

 

「これまでの理」って部分では、「かしもの・かりもの」と「誠」の2つが諭されています。この2つが「おかきさげ」のメインテーマ。

 

これと同じで、

「この二つの理」ってのは「かしもの・かりもの」と「誠」を指しています。

 

で、赤字にしてる部分は、どちらも文章の後半部分に出てきますよね。

前半部分で、メインテーマの「かしもの・かりもの」と「誠」について諭し終えたあと、

今言った2つのこと、めんめんがしっかり心に治めるように!!!

と念押しされている部分と言えるでしょう。

 

これを踏まえて、第1形態を訳すとこうなります。

これまでの理は
これまで諭した理(=「かしもの・かりもの」と「誠」)は

めん/\心に治め
めんめんよく心におさめてね

 

 

第2形態:これまでの理は運ぶ一つ尽す一つに、めん/\心に治め

つづいてフリーザ第2形態にあたる「おさづけさしづ」です。

第2形態のお言葉を見ると、だいぶ最終形態に近づいてきたと思いませんか?
ほら、第2形態をこんな感じで進化させたら最終形態の「おかきさげ」になるでしょ。


つまり、第2形態をみれば、最終形態の「おかきさげ」の意味が鮮明に浮かび上がってくるというわけ。

てことで、第2形態に注目してみましょう。

2つの「おさづけさしづ」をあげます。
ザーボンさん、ドドリアさん、ご覧なさい。
赤字の部分に注目ですよ。

明治22年8月1日

さあ/\だん/\の席返やし/\″の席、又一日の日の席生涯。さあ/\心を以ちて一つの席、生涯の理を諭しには、どうせこうせ、これは言わん言えんの理を聞き分け。人間というものは、身は皆神のかしもの、神よりかりものである。心一つ我がもの。たった一つの心より、日々常という、どんな理も出る。どんな心の理も皆受け取る中に、一つ自由という理を聞き分け。常に誠一つの理が自由。常々誠一つの心あれば、内々睦ましいと言う。誠というものは弱いものゝ長き堅きものである。誠程強きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら、直ぐと受け取る直ぐと返やすは天の理。天の理なら、直ぐに受け取る直ぐと返やすは天の理である。又一つ互い扶け合いは、日々運ぶ理。人を救けるというは、真の心の誠の理が救けるという救かるという。これまでの理は運ぶ一つ尽す一つに、めん/\心に治め。これよりたすけ一条のため、こうのう一つの理を授けよう。さあ/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、と、これを三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよ。さあ/\受け取れ、さあ受け取れ。

 

明治22年11月2日

さあ/\だん/\返やし/\の席をしい、さあ一日の日生涯、心一つの理を以ちて一つ席、席に順序生涯の理を諭しよ。生涯の理には、よく聞き分け。難し事は言わん。どうせこうせこれは言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかと言う。人間という身の内という、皆神のかしもの神にかりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々常という、どういう事情いかなる理、幾重事情どんな理も、皆日々に受け取る中に、一つ自由という理を聞き分け。自由という理は、何処にも無い。たゞ誠一つの心の理にある。誠というは、一寸には弱いよに皆思うなれど、誠より長き堅きものは無い。誠一つは天の理。天の理なら、直ぐと受け取る直ぐと返やす一つの理、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々という十分睦まじいという理が治まる。それ世界成程という、成程の者成程の人やなあと言う。誠一つの理で自由。又一つ、これまで互いや扶け合いという、これは日々諭す理、人を救けるというは真の心誠一つの理で、救ける理で救かるという。これまでの理は、尽す一つ運ぶ一つに内々めん/\心に治め、これより末永く事情理に、たすけ一条のためこうのう一つの理を渡そ。さあ/\、あしきはらいたすけたまへ天理王命、とこれを三遍唱えて又三遍々々々三々々の理を授けよ。さあ/\受け取れ、さあ受け取れ受け取れ。

 

第2形態のお言葉を見たら、第1形態との違いは明らかですよね。
「運ぶ一つ尽す一つ」とか「尽す一つ運ぶ一つ」って言葉が加わっている。

 

で、どストレートすぎて説明するのもアレなんですが、

「尽す一つ運ぶ一つ」 = つくし・はこび

ですよね。

 

なので、第1形態を踏まえて第2形態を解釈すると、こんな意味になるわけです。

これまでの理は
これまで諭した理(=「かしもの・かりもの」と「誠」)は

運ぶ一つ尽す一つに、
つくし・はこびをするときに、

めん/\心に治め
めんめんよく心におさめてね

 

「かしもの・かりもの」を心に治めるってのは、

  • 生かされて生きていることへの感謝をする
  • 心通りの守護っていうルールを知る

ってことだと思うんですよね。

 

で、「誠」を心に治めるってのは、

  • そのルールに基づいて「誠」っていうステキな生き方をしようぜ

ってことかなと。

 

 

まとめ

てなわけで、フリーザを例に悪ふざけをしながら「おかきさげ」の

これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め

って一文を解釈してまいりました。

そこで分かったのは、

世のため人のため道のために「つくし・はこび」をするときは、「かしもの・かりもの」と「誠」っていう教えの角目をよくよく心に治めてするように!

っていう神様からのアドバイス。

これらを心に治めて、それぞれが自分の持ち場立場で世のため人のため道のために、つくし・はこぶ。

なんてステキなんだ。

そんなステキなアドバイスを心に治めて、尽くし運ぶ日々を通れたらいいですね。
これぞまさに天理教だとぼくは思うなぁ。

今日も成人しましょう!