誠ってどんなもの???めっちゃ分かりやすい答えが先人の教話にあった!

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです。
前回は「おかきさげ」の解説をしました。今日はその続きでおます。

「おかきさげ」では誠の心が大事だと説かれているけど、あらためて「誠ってなに?」って聞かれたら答えに詰まりますよね。誠ってどんなものか、何なのか、いまいちピンとこないってのが正直なところではないでしょうか。

そこで今回は誠の心とはどんなものか簡単にまとめてみました。

先人の先生方のおはなしからまとめてあるので、とてもシンプルで明快です。
ぜひ読んでみてください。

 

「誠」ってどんなもの??

今回は先人のおはなしから「誠」ってどんなものか見ていきます。

先人の教話ってほんとうに分かりやすくて読みやすいんですよね。天理教の教えは「かなの教え」と言われますが、先人の先生のお話を見ていると全くそのとおりだと思います。

教祖がお話しくだされた内容ってこんな内容だったんだろうな。
とにかくシンプルでわかりやすい。

ここでは2つのお話を取り上げてみます。
(昔の言葉づかいは、読みやすいように現代の言葉づかいにしてあります。)

 

諸井政一「誠ということ」

誠というは、口と、心と、手と、この三つが揃うて、真の誠という。
それ、いかほど口で誠のはなしするとても、真に誠おさまりあれば、行いもそれに沿うて、それ、することなすこと日々常にいかなることも、みな誠のようにばかりなるであろう。けれども、心に誠おさまりないと、それ、どうもならん。
日々のすることなすことが、口で話したことと違うから、世界から、それ、あの人は口先ばかりうまい人や、言うことだけは誠のようなれども、などと言うて、それ、話の理を用いてくれぬようになる。
そこで、口と、心と、手と揃うて、人々より、ああ成程の方やなぁ、どうも感心な人やなぁ、頼もしい人やなぁ、と言われるやろう。
真の誠で通ろうと思えば、そこで、ひとつたんのうという理を心におさめて、我はどうでも、人さえよくば、わしはもうこれで結構や、たとえこの上どのようになろうとも、人さえたすかってくれれば、それでよい。なんでも、人にたすかってもらわねば、ならんという心を定めねばならん。

改訂『正文遺韻』p208

 

宮森与三郎「宮森先生のお話」

そこで、天理教では教祖の誠である。教祖が五十年間の長い年月、誠をもってお通りくだされた、この尊い誠が今日の天理教であります。(中略)
誠というものは心と口と行いと、この三つ揃わにゃ誠やございません。誠の話をするくらいひの人は世界を探してごらん、竹把(さらい ■注1)でかき集めるほどある。
いくら誠なことを言うても、それを実行せねば誠やございません。それは口だけの誠や。教祖はこの三つが、ちゃんと揃ってあらせられたのや、そこで今日の道になってきたのや。

『みちのとも』大正6年7月号より

■注1 竹把(さらい):竹でつくった熊手

 

どちらのお話しにも「口と心と行い(手)と三つ揃って誠という」とあります。行いと手は同じだと考えられるので、どちらも同じ内容を表してますよね。

口先だけじゃダメだよと。

心で思ってないのに、口先だけ取り繕うのは誠とは言えない。「うそとついしょこれきらい」というお言葉の内容にも合致してきます。口ではなす内容、心で思うこと、行動が三つ揃って初めて「誠」となる、ということですね。

教祖は口と心と行いがちゃんと三つ揃っていたので、今日の道ができてきたと言われています。教祖のひながたを軸として、口と心と行いを揃えていくことで、誠に近づけるんじゃないでしょうか

 

人に喜んでもらってこそ誠の心となる

もう一つ、誠の心とはどんなものかを紹介しておきます。

信者の栞にある「誠真実」という文章です。名文すぎます。

誠真実というは、ただ正直にさえして、自分だけ謹んでいればそれでよいというわけのものじゃありません。
誠の理を日々に働かしていくという働きがなくては、真実とは申せません。
そこで、たすけ一条とも聞かせられます。互い立て合い、扶け合いが、第一でございますによって、少しでも、人のよいよう、喜ぶよう、救かるように、心を働かしていかねばなりません。
(中略)
されば人に恥かかさんよう、人と人との仲もとりつくろい、人をたてて、何事も人の心に満足あたえるよう、日々に互い立て合い、扶け合いという心を働かしていくように、お願いします

 

ほんとうはこの(中略)の部分がものすごーく分かりやすくて好きなのですが、長くなるのでカットします。

ぜひ一度読んでみてほしいです。
ステキだから。

ここでは誠真実ということばで誠について語られていますが、ポイントとしては「人に喜んでもらうように、自分の心を働かせていく」という部分ではないでしょうか。

ただ自分だけに信仰のベクトルを向けているのでは誠とは言えない。人に喜んでもらって、人に満足を与えてなんぼ、という世界。

教祖のひながたにしてもそう。
「喜ばさずには帰されん」というお言葉があるように、人を喜ばせたいというひとすじのお心だったと思います。

 

まとめ

こうして見てくるとシンプルですね。

誠とは、
口と心と行いの三つが揃ってこそ誠。
人に喜んでもらい、満足を与えてこそ誠。
ということでしょう。

頭で理解するのは簡単だけど、実行するとなると・・・

自信ナシ( `・ω・´)ノ

 

今日も成人しましょう!

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