理の親の言うことを聞くように!?・・・ウソだろ(´・ω・`)

こんにちは、ひさまつです。

今日もまた理の親シリーズ第3弾です。
このシリーズは書いててもあんまりテンション上がらないですね。大して内容もおもしろくないですし。。

はやいところ終わらせてもっと生産的なトピックを取り上げたいとおもいます。

さて、今回もまた順序の理を説かれていそうな「おさしづ」を解釈していきます。
そして、最終的には順序の理なんてないよ、というお約束のパターンでいきます。

予定調和の通り進みます。
期待せずお読みください。

順序の理とはどんな意味か?

天理教事典(旧版)には次のようにあります。

理の子は理の親に向って、また部内教会は上級教会を通して教会本部へ、尽くし、運ぶ。このような信仰の道筋を欠かすことなく追い、運ぶことを「順序の理を運ぶ」という。

 

これを便宜上、3つの要素に分けてみます。

①教会と教会(血縁関係のない人間と人間)に親子関係が成立する

②信仰の古い教会(人)は理の親、新しい教会(人)は理の子

③理の子は理の親を通して、尽くし運ぶことが大切だ!!!

今回の「おさしづ」は③の香りがするお言葉です。
見ていきましょう。

 

今回の「おさしづ」はこれ

明治23年6月20日(夜)
志紀分教会再願に付、板倉槌三郎松田音次郎両名出張の上願

理は何名何人という。親と見立てば親の理は聞かねばどうもならん。

 

一見すると「理の親の言うことを聞くように」という意味に読み取ることもできそうです。

理の親=親神様という理解であればいいのですが、これが上級教会だとか会長だとかに置きかわってしまうともう危ない。でもそういうことが起こりがちですよね。

お言葉だけを切り取ってしまうと、都合よく神意を編集できてしまうのがこわいところです。この記事にも書いたようにわたしも気をつけています。
ただ、自他共に認める信用ならない人間ですので、話半分でお読みいただくのがいいかと思います。

( `・ω・´)ノ

 

ともかくこの「おさしづ」はパッと読むと、

「理の親の言うことは絶対だ!」

みたいに解釈できてしまい、悪用されてしまうおそれがある大変危険なシロモノナノデス。

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じゃあさっそく詳しくみていきましょう

まずは例の「おさしづ」を全文引用してみます。

明治23年6月20日(夜)
志紀分教会再願に付、板倉槌三郎松田音次郎両名出張の上願

さあ/\尋ねる処/\、そら成程世界一同の理、何名幾名一つの理である。何人の理を取り集める処、取り扱う処、何名の理ならん、をや一つの理に治めてやるも一つの理である。何名何人一つの心、一手、一手一つ/\の理に寄せてくれるよう。何名何人といえど治める。理は何名何人という。親と見立てば親の理は聞かねばどうもならん。一同こうと皆急き立てた処、前々旬を越さんとまで諭したる処、一同という心の理を計るから通らにゃなろうまい。どうしてみたという。もうこれ親という理立ったる処の理、立たん処の理、親という理を思やんすれば治められんではあろうまい。どれだけ早く何でもといえど、その場/\旬という、旬を越やさんとまで言うてある。一時ならんとは言わん。心を治め。急いた処が一時どうもなろうまい。遠く遥る/\″道を運び、よう/\何箇年という。皆世界の理難しい。澄んだる理もあれば澄まん理もある。親と見れば治まらん事はあろうまい。よう伝えてくれ。旬より一つの理は治まりゃせん。旬が来ねば種は生えん。さあ/\悠っくりの心を以て、悠っくりの理を治めてくれるがよい。

 

この「おさしづ」の背景は?

「おさしづ」の割書からは、次のような背景が読み取れます。
もともと志紀分教会(今の中河大教会)が地方庁に教会設置を願い出たものの却下され、再度願い出ることになりました。その際に、板倉槌三郎先生と松田音次郎先生が出張されることを伺った「おさしづ」のようです。

もともと教会設置を出願していたものの、地方庁からNGが出ていたんですね。
それに対して、当時の人々は「早く教会を設置したい!」という気持ちが強かったようです。三日前の「おさしづ」にはこうあります。
成らん事に成らん心を運んで居る。親里々々をやの理を以て運ばんによって世界が救からん。この理を諭し置く。(明治23年6月17日)

「成らん事に成らん心を運んで居る。」とあるように、人間思案から無理をしていた雰囲気が感じられます。

しかし、神意としては、
急いた処が一時どうもなろうまい。
さあ/\悠っくりの心を以て、悠っくりの理を治めてくれるがよい。
とあるように、今はまだ旬ではない、と諭されます。

こうした背景をふまえると「親と見立てば親の理は聞かねばどうもならん」の意味が浮かびあがってきます。

つまり、

「親(神様)と見立てているのであれば、おさしづの指示(=親の理)を聞かなかったらどうもならんで。」

という意味です。

 

ちなみに、同じ日には次のようなお言葉もあります。

「談示して勝手に運ぶなら何にも尋ねるまでやない。人間の義理に尋ねるなら要らん事、さしづを外せば尋ねるまでやない。尋ねるならさしづもしよう。さしづは神一条の話。(中略)さしづ通り仰せ通りという。

このお言葉を見れば、一目瞭然ですね。

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まとめ

というわけで、「親と見立てば親の理は聞かねばどうもならん。」というお言葉は「理の親の言うことを聞くように」という意味ではありません。

「おさしづ」を伺っているのに、その「おさしづ」を軽んじるような雰囲気があったのでしょう。そのことを戒められているお言葉です。

めでたしめでたし。

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