徳分を活かして人に喜んでもらえるなんて、ほんと素敵だと思いませんか?

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです( `・ω・´)ノ

 

前回、徳分の定義あいまい問題について私見を述べました。

簡単にまとめておくと、

  • 徳分の定義は2種類に解釈されていそう
  • 1つめは「得意なこと・好きなこと」
  • 2つめは「生まれ持った優秀な力や才能」
  • ただ徳分は教理論で考えなくてもいい
  • だから正解はない、人それぞれの定義でOK

ってな感じ。

というわけでぼくは、

人を喜ばせる価値を生み出す際に、
他人と比べて相対的に生産コストが低く抑えられるもの

という定義をおいて進めていきます。

 

余談ですが、リアルでもネット上でもいろいろ議論されてるけど、言葉の定義を揃えないまま議論を進めてもマジで時間の無駄になっちゃうからやめたほうがいい。

最終的に感情的な対立が生まれて、お互いにロジックが破綻して、人格攻撃や詭弁に走るパターンに陥るので、言葉の定義を最初に揃えておくのはほんと大事だと思うわ。反省( `・ω・´)ノ

というわけで、僕は徳分という言葉を、上のように使っていきますね。

 

ちょっと別の表現で言えば、

自分ではすごいとも特別だとも思っていないけど、人からすると「それすごくね!?私にはできないわ!」って言われることや、普通にやってるだけなのに「あれ?なんか他の人より私うまくできてるんじゃね?」ってものですね。

それが他人と比べて生産コストが低いって目安です。

 

人から自然に喜ばれるなんて素敵じゃない?

本人からすれば特別なことをしている気はないのに、人から自然に喜ばれてしまうなんてことが日常にあふれたら、それってとても素敵だと思いませんか?

少なくとも、僕自身はそう思う( `・ω・´)ノ

で、できたらそんな人がお道の中に増えたら良いなぁと思う。それが正しいかどうかは人それぞれの判断だと思うけど、ぼくはそう思う。

 

自分自身、自分の徳分を活かして「ありがとう」って言ってもらえると、すごく嬉しいし、幸せなことだなとも思うから。そんな人が教内にもっと増えたら、たぶんお道全体も活気が出てくるだろうし、その先には社会全体ももっと良くなっていくだろうなと。

 

とはいえ、現実はなかなか難しい( `・ω・´)ノ

徳分を活かして人に喜んで貰いたいとは心の中で思っていても、目の前には必ずカベがあるんですよね。
みんな必ずあります。

人が行動を起こすのを妨げるカベにはいろんな種類があって、例えば、

  • それをやる意味が分からない(目的)
  • 何をしたらいいか分からない(手順の具体化)
  • 自分にはできない(自信、失敗の恐れ)

といった内的なカベであったり、あるいは、

  • 何をするにも周囲のジャマが入る(環境)
  • やりたいけどリソースがない(資源不足)

といった外的なカベもあります。

 

これらのカベをひとつひとつ取り除いていかなければ、やはりなかなか何かやろうと思っても、行動にうつせないんですよね。

それでいて、人それぞれ目の前に立ちはだかるカベは違うので、一概にこうという対策も取れない。

周囲の人は応援してくれるけど、何をしたらいいか分からないって人もいれば、何をしたいのかは明確に見えているけど、周りが猛烈に反対するからなかなかできない、みたいな具合に。

 

でも、それってお道全体としてみたときに、とてももったいないと思いませんか?( `・ω・´)ノ

 

なんせたすけ心を働かせたいと思っている人はいっぱいいるのに、それができない現状があるわけですから。

サトシはポケモンマスターを目指している。ポケモンも戦う気満々。なのにポケモンを戦いの場に出せないなんて。。。

完全なる無理ゲーです。

 

じゃあ、どうすればいいんでしょうか?

実は、僕の中にはもう答えが出ています。

合ってるかどうかは分かりませんが、ぼくの限られた知性や経験を振り絞って、今のところこれが「たすけ心を働かせたいけど実際に行動にうつせない」方への解決策としてベストと思えるものはあります。

もう一度いいます、合ってるかどうかは分かりません。

てか、どうせ合ってません。人間の知性なんて本当に知れています。でも、あります。

 

時間がなくなってきたので、つづきはまた次回( `・ω・´)ノ