目的と手段のフレームから抜け出す先に信仰の瑞々しさがある。

きのうの続きのような話。

信者数を増やす、教会数を増やす。教会を盛り上げる。

これは「もっと多く、もっと早く」「より効率的に」という思考様式を生む。

より効果的な活動はないだろうか?

この問いを無自覚で立てることによって、無自覚に失われてしまうものがある。

効率化というのはトレードオフなのであって、何かを代わりに差し出さなければならない。

何かを得ようと思えば、かわりに何かを差し出さなければならないのだ。

偉そうに語っているが、自分がそのことに気づいていなかった。盲点だった。

プロセスから得られる喜び。

プロセスそのものに宿る価値。

効率化というのは、できるだけ過程にかかるコストを減らして、成果を抽出しようとする営みだ。

江戸時代の慣習にお伊勢参りがあったが、伊勢神宮に向かう道中から得られた豊かさがあったのでは?

甲子園の優勝校だけが「価値」があるのか?優勝できなかったチームは無価値なのか?

きっと、そんなことはない。

効率化そのものを否定しているのではない。

効率化によって、自分が差し出しているものにも目を向けたほうがいいという話。

成果に意味がないわけではない。

そこを目指そうとするプロセスにも価値があるのでは?

年祭活動とさかんにいわれているが、活動そのものが目的になっていると、効率化の罠にはまるかもしれない。

年祭を一里塚として、その塚を目指すプロセスそのものを楽しめているか?

こういう視点を忘れないようにしたい。

効率化を進めるあまり、コストを削減して手軽に成果を得ようとするあまり、過程から失われるものがある。

このことに自覚的になっておくことが大事なのではないだろうか。

今日も成人しましょう( `・ω・´)ノ