こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです。
一週間前に野球をしたんですが、そのときの筋肉痛がまだ残っています。
きっと普段のおこないが悪いからです。年齢のせいではなくてよかったです。
今回は「おかきさげ」が大切な理由について。
「おかきさげ」が大切なのはなんとなくわかる。
でも、どこがどうそんなに大切なの?
今日はそんな疑問についてお答えします。
おかきさげが大切な理由は、「おかきさげ」が渡されることになった経緯やそれにまつわる「おさしづ」を見るとよくわかります。
この記事を読んだら「おかきさげ」がとっても大切すぎることに気づいて、目玉がとびだして「がびーん」って言ってしまうと思います。
メガネの方は、メガネを突きやぶるかもしれないので、裸眼でお読みください。
「おかきさげ」ってそもそも何なのさ
そもそも「おかきさげ」は漢字をあてると「お書き下げ」です。
当時は「おさしづ」を筆記したものを「書き下げ」と呼んでいました。
今では「おかきさげ」は仮席の際に渡される書き物を指して言われるのが一般的です。
こちらの文章です。
さあ/\だん/\の席返す/\の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以って一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。生涯の理を諭すには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、これは言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。
それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。ただめん/\精神一つの理にある。
日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶという、尽すという。運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。
又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め。
又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛型。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。
「おかきさげ」の文章は明治23年に統一され、それから現在に至るまでまったく同じ文章が渡されています。
「おかきさげ」の内容についての記事はこちらをどうぞ。
意外と知らない「おかきさげ」の要点を超シンプルに解説
「おかきさげ」の文章が統一されたきっかけ
「おかきさげ」は明治23年7月15日の「おさしづ」をきっかけに、統一された文章が渡されることとなりました。その「おさしづ」を引用します。
明治23年7月15日
おさづけ順序後へ御話
さあ/\一言々々話して、これまでの書取渡すのや。渡すのが第一やで/\。後より渡すのが第一肝心やで。さあ/\これまでの書付は、皆んな渡すのやで。さあこれから先の書付は、皆一人々々の心の理に又諭すによって、これまでの書付と、それに添えて、後で書付渡すのが第一肝心や。これだけ諭し置く。
「さあ/\これまでの書付は、皆んな渡すのやで。」とありますが、この「おさしづ」以降、現在のような「おかきさげ」に統一されたわけです。
「これまでの書付」とはいわゆる「おさづけさしづ」のことを指しています。
「おさづけさしづ」とは?
「おさづけさしづ」とは、おさづけの理を拝戴する際にいただいた「おさしづ」のことを言います。
一つ例を紹介します。
明治22年6月1日
徳島県海部郡日和佐村大字奥河内百七番屋敷、西河実三郎三十六才おさづけさしづ
さあ/\だん/\の席、又々の席、一日生涯の理を諭しよう。難し事言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。人間というは、身の内神のかしもの・かりもの、心一つ我が理。心の理というは、日々に受け取る。どんな理、幾重どういう理も受け取る中に、誠一つは自由自在。誠いうは天の理、天の理なら直ぐに受け取る返やすが自由自在。これまで互いやと言うて、たすけやい言う。諭すまでや。人を救けるのは真の心が救ける。これから先々長く尽すため、さづけ渡し置こう。天理王命、三三の理三、前々の理を渡し置こう。さあ/\受け取れ/\受け取れ。
この「おさしづ」は西河実三郎氏がおさづけの理を拝戴した際にいただいたお言葉です。
これと同じように、明治23年7月15日以前は、おさづけの理を拝戴する際に「おさしづ」としてお言葉を頂戴していたわけですね。
これらの「おさしづ」のことを「おさづけさしづ」といいます。
「おさづけさしづ」は全部で191件あります。
「おさづけさしづ」については、梅田正之先生の「おさづけの「おかきさげ」について」(『天理教学研究』32号)が詳しいで す。「おさづけさしづ」の整理を通じて「おかきさげ」の諭しの要点が「かしもの・かりものの理」と「誠」の2点にあることを明らかにされています。超おすすめ。
「おさづけさしづ」をまとめたものが現在の「おかきさげ」
これらの「おさづけさしづ」は年代が下るにつれて、現在の「おかきさげ」とほとんど同じ文章になっています。
なぜなら「おかきさげ」は「おさづけさしづ」をまとめたものだから。
つまり、明治23年7月15日の「おさしづ」にある「さあ/\これまでの書付は、皆んな渡すのやで。」というお言葉は、これらの「おさづけさしづ」をまとめて一つの定まった文章を渡すように、という意味なのです。
こうして「おかきさげ」は「おさづけさしづ」の内容をまとめられて完成しました。
めでたしめでたし。
「おかきさげ」が渡されるようになった理由とは?
明治23年7月15日をきっかけに「おかきさげ」が渡されるようになったわけですが、そもそもなぜ「おかきさげ」を渡すことになったでしょうか?
それは1週間前の明治23年7月7日の「おさしづ」にさかのぼります。
明治23年7月7日
本席腹痛に付願さづけ/\の処、よう聞き分け。日々の席をする。席をすればさづけは渡す。その時の心、受け取る時の心、後々の心の理がある。日々まあ一日の日、結構という理を忘れて了う。どうも残念でならん。なれど運ばねばならん。そんならその者にはやろう、この者にはやらんというような隔ては無い。今貰うて直ぐとほかす者でも渡さにゃならん。
(中略)
日が経てば、その場の心が弛んで来るから、何度の理に知らさにゃならん。
当時は教勢が伸びまくっていた時代。
別席を希望する方がどんどん増えていきました。
従来はバリバリ熱心な方に「おさづけ」をお渡しくだされていたのですが、教勢が伸びまくる状況になってくると、中にはそこまで熱心に信仰していない人も別席を希望されるわけです。
そうすると、別席をついつい軽く見てしまう方も少なからず出てくる。
この状況を踏まえて、次のお言葉。
「日々まあ一日の日、結構という理を忘れて了う。どうも残念でならん。」
「日が経てば、その場の心が弛んで来るから、何度の理に知らさにゃならん。」
この2つのお言葉が意味するところは、
「おさづけの理」をいただくときは「結構や!」と思っているけど、次第にその日の気持ちを忘れてしまう。せっかく別席を通して心遣いを改めてきたのに、日が経てば別席の話も忘れて心が弛んできてしまう。だから、何度も繰り返し知らしていかないといけないね。
という意味です。
「おかきさげ」はリマインダー
こうした背景をふまえると、なぜ「おかきさげ」が渡されることになったのか?が見えてきます。
つまり、「おかきさげ」とは、別席の話の大切なポイントを忘れないようにお渡しくだされているものなのです。
「おさづけの理」をいただいたときの感動と、心遣いを正していこう!という決意。ついつい忘れがちですよね、人間だもの。
だからこそ、それを忘れないように、リマインダーとしてお渡しくだされているのが「おかきさげ」だというわけです。
書下げだけ、よくこれを一度の処二度、二度の処三度、三度の処四度五度六度まで返やせば、心によく治まる。(明治33年10月7日)
というお言葉があるように、何度も読み返して、おさづけの理をいただいたときの気持ちを常に忘れないようにしたいですね。
おかきさげ以外の話はいらんのじゃぁ!!!
書下げより外の事は要らん。
というお言葉があります。
明治33年10月11日の「おさしづ」です。
どうしてこんなお言葉があるのかというと、取次人の方が仮席の際に「おかきさげ」以外の話を付け加えて話をされていたようです。ついつい、熱い気持ちがほとばしりすぎて余計な話までしすぎてしまったんでしょうね。
「「おかきさげ」の話だけをするようにしなさい!!!」
と、戒められることになっちゃいました。
それが次の2つの「おさしづ」です。
明治33年10月7日
刻限の御話
そこで長い話すると、何聞いたやら分からんようになる。そこで、満席一日さづけ頂いた理に、四方々々の話長い話してはならん。書き取りをして書下げだけ諭してくれ。長い話要らん。第一将来の一つの理忘れる。いろ/\伝えば忘れて了う。
(中略)
九度運んで満席、書下げより一つの事は要らん。書下げだけ、よくこれを一度の処二度、二度の処三度、三度の処四度五度六度まで返やせば、心によく治まる。
明治33年10月11日
過日のおさしづにおさづけ戴きたる人々に、言い渡し致す処書下げと仰せ下されましたが、その日の御諭しの書下げのみの事でありますや、又以前仰せ下されました長き書取りも言い聞かします事でありますか、と押しての願
又日々順序よう書き下げて、日々の書下げは十分諭してくれ。十分九度済んだる。書下げだけの話諭してくれ。一日仮席に彼是話長う伝えたら、何聞いたやら、分からんようになる。
(中略)
そこで何年経っても、ほんになあと鮮やか忘れんよう書き取って渡す。又一日の理に三遍ずつ三三九度渡す。これから渡したる、これを、どんな者でも二度三度五度六度何度も返やして言うて聞かせば、どんな者でも治まる。
(中略)
そこで書下げより外の事は要らん。書下げだけそうしたら/\、どんな者でもそこえ/\理治めて帰る。ほんにそうや/\と、理が治まれば、一手一つと言う。根掘り/\は要らん。理を剥すようなもの、外の事すっきり要らん。
これらの「おさしづ」を見れば、
おかきさげ以外の話はいらんのじゃぁ!!!
という親神様のメッセージを感じることができますよね。
「おかきさげ」だけでいいんです。
それって相当すごいでしょ。
つまるところ、「おかきさげ」には教えのエッセンスが凝縮されているということです。
だから「おかきさげ」だけで十分というわけです。
ファイアーなお話なう
今でもそうです、きっと。天理教の信仰は「おかきさげ」の内容をきっちりと押さえていれば、それでいいはずなんです。
でもあんまりそういう雰囲気を感じないですよね。
むしろ上級がどうとか、年祭活動で真実がどうとか、そんな話ばっかり。ほんとくだらん。そんなことどうでもいいから、もっと日々の通り方にスポットライトを当てていきたい。そうすれば、信仰自体をもっと楽しめる人が増えると思うんだけどなぁ。
どう思いますか?
炎上は止めてください。
まとめ
「おかきさげ」がどうやって成立してきたか、その経緯を追いながら「おかきさげ」ってとっても大事だよ!という話でした。
簡単にまとめておくと、
・別席の話を忘れないように「おかきさげ」が渡されることとなった!
・だから常に読み返していきたいね!
・教えのエッセンスが詰まってるから「おかきさげ」以外の話は要らないよ!
・だから「おかきさげ」の内容ってとっても大事だよ!
こんな感じです。
「おかきさげ」の大切さに気づいてしまった方や、目玉が飛び出した方はぜひ「がびーん」というコメントとともにシェアしてください。
どんびきされると思います( `・ω・´)ノ
本日も成人しましょう!