先日、Twitterでこんな質問をしました。
教えてください( `・ω・´)ノ
徳分を活かして「人の役に立つ何か」をしたいんだけど、何をしたらいいか分からないし、どこから手をつけたらいいか分からない、ってところで立ち止まって前に進めない人って、結構いそうですか?( `・ω・´)ノ最近こんな相談をよくいただくんです。— ダメダメようぼくのひさまつ (@damedameyohboku) September 13, 2020
ついでにこんな記事も書きました。
Googleフォームやら直接Twitterのコメントやらでお返事くれた方、まじでありがとう( `・ω・´)ノ
Twitterでは諸般の事情から基本議論しないことにしているので、ここで平身低頭、頭をスリスリしながらお礼申し上げます( `・ω・´)ノ
それから壁打ち相手になってくれたさぶ、かずはるくん、すがのけんちゃん、まじでありがとう( `・ω・´)ノ
色んな方の意見やコメントを聞いて、まずひとつ大事なことがすっぽ抜けていたことに気づきました。
徳分の定義があいまいすぎる問題
さて、徳分っていったい何でしょうか?
僕自身、この前のおたすけピックスで「徳分を活かしたおたすけ」ってテーマで話していて一体何だろうなと思ったし、実際に質問でもかなり「徳分ってなに?」ってきてました。
Googleフォームでいただいたコメントには、
徳分ってそもそもなんだよ。天理教のヤツは専門用語ばっかり使ってわけわからねぇよ、もうちょっとかみ砕いてしゃべれボケ( `・ω・´)ノ
という感じのコメントもあったり。
その後、続々といただくコメントをみると、やっぱり徳分の定義が
クソあいまいだわ( `・ω・´)ノ
って感じました。
一人ひとり、「徳分」と聞いてイメージする意味内容が全然ちがう。
ただ、大きく分けると、2つの解釈に分かれるっぽいです。
- 自分の好きなこと・得意なこと
- 生まれ持った優秀な力や才能
解釈1:自分の好きなこと・得意なことシリーズ
例えば、ある方はこう言いました。
アニメが好きで、そのアニメで盛り上がって居場所を作って上げるだけでも、それは十分に人の役に立っている。
ふむふむ、ほんとそう思うわ( `・ω・´)ノ
それからある方はこんなコメントをくれました。
何も特別なことしなくても、自分が天理教の信者であることを周りに公言して、会社や家庭、社会生活を送ればいいんじゃないですか? https://t.co/z0LaToxIyb
— 落ちこぼれ教会長 (@ochikobore21) September 14, 2020
おそらく「徳分=特別なこと」という解釈ですね。専門性の有無にかかわらず、社会生活の中で人の役に立てたらそれでいいだろ、ということかなと。違ってたらごめんなさい。
ほんとそう思うわー。なんなら天理教って公言する必要さえ感じないわ、ぼくは( `・ω・´)ノ
ま、論点がそれるから次( `・ω・´)ノ
ある方はこんな感じのコメントをくれました。
人のために何ができるか考えています。得意なこと、やりたいことはないけど、好きなことは子どもとの関わりであったり、お年寄りとお話することぐらいです。
ぐらい?いやいや、それ才能です( `・ω・´)ノ
ぼくなんて興味がない話題だと人と喋る気さえ起きません( `・ω・´)ノ
それからある方は、
徳分と言われても、これ!って言うのが思い付かない。挿し絵を頼まれた時に書いたりはしてますが、「役に立つ」と言うにはどうなんだろう?って感じです。
思いっきり役に立ってます、安心してください( `・ω・´)ノ
僕は3歳の娘にぶどうのイラストを描いても「全然似てない」と言われるレベルです( `・ω・´)ノ
以上頂いたコメントは、総じて「自分の得意なこと・できること・専門スキル」といった意味で徳分と使っていますね。
ちなみに、ぼくもこの意味に近い意味合いで「徳分」と使っていました。
一方で。
解釈2:生まれ持った優秀な力や才能シリーズ
ざっくりいうと「徳」ですね。
よく言われますね、天理教でも。
天理教事典では、徳は、
一般に用いられている意味から詮索すると、徳とは「人が得て以て己れのものとしている人理的な本性あるいは力の優秀性である」
と定義されています。(※他にもあるけどここでは省略)
また、日本国語大辞典によると…
④ (徳分) 徳として身についているもの。
※帰郷(1948)〈大仏次郎〉牡丹の家「何もしないでゐて一代を暮して行ける自信は生れつきのものらしく、根が坐って、それを徳分と信じ切ってゐる」
ざっくりまとめると、生まれ持った優秀な力や才能と言えそう。
パワプロのサクセスでいえば、いきなりオールBからスタートしてる感じ。なんと羨ましい。
ある方はこう言います。
うちのおばあちゃんは○○が食べたいと言っていたら、その日のうちに誰かがふらっとそれを持ってきてくれたり、自然に何でも与わってくる。「徳のある人や」と言われていたけど、そんなイメージで徳分を捉えている。
と言ってました。まさに「徳」という感じ。
といった具合に、徳分という言葉の定義が人それぞれ違いまくってます( `・ω・´)ノ
では、これに正解はあるのでしょうか?
少なくとも、教理的な正解はないでしょう。
だって、徳分とは何かについて、三原典もしくは口頭伝承で明確に定義されたものはないんだもの( `・ω・´)ノ
こうした前提にたった上で僕はどんな意味で使っていたのかというと…
僕は先日のツイート並びにブログにおいて、僕は、徳分とは無意識のうちに、
「得意なこと・好きなこと」
に近い意味をイメージしながら使っていました。
定義があいまいなまま使ってしまい、大変申し訳ない( `・ω・´)ノ
もう少し解像度を上げて定義しておくと、
人を喜ばせる価値を生み出す際に、
他人と比べて相対的に生産コストが低く抑えられるもの
というイメージです。
余計分からねぇ、また怒られそうだわ( `・ω・´)ノ
例えば、僕だったら、ブログを書くのに30分〜1時間もあれば書けますし、文章を書くのは(面倒くさいけど)苦ではありません。
教理勉強のためにあれこれ本や論文を読んだり、おさしづを調べたりするのも、わりと楽しくできちゃいます。
でも、これを友達に話すと「おれには絶対無理」と言われたりします。
これはつまり、僕にとっては、誰かのためになる情報を生産するためのコストが低く抑えられているというわけです。
反対に、内容のない会話がくそ嫌いでそんなときは人の話をまったく聞いてません( `・ω・´)ノ
「インプット→アウトプット」するのは、誰かにとっては特別なことかもしれませんが、僕にとっては呼吸をするようにできることだったりします。
それが、僕にとっての「徳分」の定義です。
念押ししますが、あくまでも僕にとっての定義です。
あぁ疲れた。
少し長くなってきたので、一旦ここで終わり。
「徳分」の言葉の意味を定義するだけで終わってしまいました( `・ω・´)ノ
いやぁ、本当に議論する上では言葉の定義を揃えておかないといけませんね、反省( `・ω・´)ノ
本題についてはまた次回。
今日も成人しましょう!