こんにちは、ひさまつです。
この前、かんかん照りの中、潮干狩りに行って夢中で貝を掘っていたら、両腕がレッドゾーンに突入していました。今は腕の皮がめくれて痛々しいです。
人間的に一皮むけてくれたらいいのですが、一ミリたりともむけないせいで逆に痛々しくなっております。
人生うまくいかないものですね( `・ω・´)ノ
今回は『おさしつ改修版』の編纂ミスと思われる「おさしづ」について。
知っている限りで3組の「おさしづ」に編纂ミスがあるので、備忘録としてかんたんに記事にしておきます。
『おさしづ改修版』とは?
『おさしづ改修版』とは、昭和38〜41年にかけて全教会に下付されたおさしづ本のことです。
(写真は『おさしづ改修版』の縮刷本です)
おさしづ本は大きく分けて3度、公刊されています。
- 昭和2〜6年にかけておさしづ本が初めて公刊される(33巻本)
- 昭和11〜12年、33巻本を8巻にまとめられ全教会に下付(8巻本)
- 昭和38〜41年、7巻にまとめられた『おさしづ改修版』が全教会に下付
8巻本が公刊されたあと、すぐに昭和14年より「革新」の時代に突入してしまい、公刊されたばかりの「おさしづ本」はやむなく回収・破棄となります。
終戦を迎え、すぐさま「復元」が打ち出されると、昭和23〜24年にかけて「おさしづ本」は再版・下付されるのですが、印刷用の紙型が使用に耐えなくなってしまったようです。このことがきっかけとなり、「おさしづ」の再編集が企画されることとなりました。
この再編集によってできあがったものが「おさしづ改修版」というわけです。
「おさしづ改修版」は教祖80年祭の記念として昭和38年〜41年にかけて、全教会に下付されました。
さらに、教祖90年祭の記念として、昭和51年に縮刷版が出版されています。
『おさしづ改修版』はちゃんとした手順で編集されているけども
おさしづ本の再編集が決まると「こふき委員会」が結成されました。
ですから、再編集にあたってちゃんとした手順が踏まれているのは間違いありません。
このあたりの経緯については、宇野晴義『天理教資料研究』(越乃国大教会史料集成部、昭和48年)に詳しく載っています。
それでも、いくつかミスらしきものがあります。
全部で2万余りのお言葉があるわけですから仕方ないですよね。
というわけで、ミスらしき3組の「おさしづ」を見ていきましょう。
1.本席身上(明治20年・23年)
明治二十年三月二十七日(陰暦三月三日)午後九時半
本席身上御障りに付御願
さあ/\日々迫る/\。知らさにゃ、どうもならん/\。言い掛ける事情を治めにゃならんで。さあ/\先々の処々、まあ、よう思やんして見よ/\。さあ/\身の内にてこれ一寸障り付けてある。どうも真実なる知らせたい。どうも分からいでならん。十分迫り切る。迫り切らん事には聞きやせん。日を送りて来た。さあ/\よう聞かにゃならん。どれだけ尽す処理を運ぶ、功を積む。一時の処から、一寸の処聞きやせん。見えて来たなら後で一つ/\の思やんをするであろう。大きいものや、堅いもんやと。大きいもんが大きいやない、堅いものが堅いものやない。よう聞き分け。皆一つどうもならん。何を言うやら分かろまい、理には迫ろまい、なれど日日の事情には迫るやろう。理には迫るまい。日々の処、身上聞き分け。さあ聞き分けてしっかり事情。何をこれよう聞き分けて事情定め/\。だん/\の話、取り替え寄り来る処に、早く話聞かせ。今の道難しいてならん。成らん者にどうせえそうせえと言うた処が、どうもならん。これだけの人はどういう理を担ぐ。どうもならん。時節々々到来、時節あちらこちら、成る事情は言わいでも運ぶ、成らん事情は言うても運ばん。遠く事情これだけ働いてこう成らん者は、せえと言う。成らん者にせえと言うて、これが出来るか。世界というも教一つの理から考えるなら、一つの理も説かるやろう。さあ/\理を取り替え/\。取り替えねば、どんな理が出るやら知りゃせんで。元の事情こういう理である。いかなる理も尋ね/\。尋ねるならいかなる理を諭す。こりゃ大きい理や。分からんから道を失うような事が出来る。今は大きい、とこぎり大きいもの、何でもない事が大きい事やで。何でもないと思うやろう。よう聞き分けてくれ。さあ/\追々話する/\。一度の話では取り混ぜてある。話掛けたら、どういう事話掛けたら、旬々の理を以て一寸長くの身の障り。どれだけ一時に諭したい、分からん事情を。そこで、じっと些か心得んという日を送って来た。今日の日から話掛けたら、だん/\諭せにゃならん。どういう事も諭する。残念な事が何ぼ積ってあるやら知れん。いっかどあるや知れん。世界という、並大抵でない。眺めうっとしい、小さいようで大きいで。これを、よう聞き分けて置かねばならん。
明治二十三年三月二十七日(陰暦二月七日)午後九時三十分
本席御身上より刻限
さあ/\日々迫る/\。知らさにゃどうもならん。言い掛ける事情治めにゃならんで。さあ/\先々の処/\、まあよう思やんしてみよ。さあ/\身の内にてこれ一寸障り付いてある。どうも真実なる知らせたい。分からんでならん。十分迫り切る。迫り切らん事には聞きやせん。日を送りて来た。さあ/\一寸の処から一寸の処聞きやせん。見えて来たなら後で一つ/\の思やんするであろう。大きものや堅いもんやと。大きいやない、堅いものが堅いもんやありゃせん。よう聞き分け。皆一つどうもならん。何を言うやら分かろまい。理には迫ろまい。なれど日々の処、身上聞き分け。さあ聞き分けてしっかり事情、何もこれよう聞き分けて事情定め/\。だん/\に話取り換え。寄り来る処に早く話聞かせ。今の道難しいてならん。ならんものにどうせいそうせいと言うた処がどうもならん。これだけの人はどういう理を担ぐ、どうもならん。時節々々到来、時節あちらこちら成る事情は、言わいでも運ぶ、成らん事情は言うても運ばん。遠く事情これだけ働いてこう成らん者はせいと言う。成らん者にせいと言うて出来るか。世界という教一つの理から考えるなら、一つの理も分かるやろう。さあ/\理を取り換え/\。取り換えねばどんな理が出るやら知りやせんで。元の事情こういう理である。いかなる理も尋ね/\。尋ねるならいかなる理も諭す。こりゃ大き理や。分からんから道を失うような事が出来る。今は大きにとこぎり大きもの、何でもない事が大きい事やで。何でもないと思うやろう。よう聞き分けてくれ。
さあ/\追々話する/\。一度の話では取り混ぜである。話掛けたらどういう事を話掛けたら、旬々の理を以て一寸長々の道、身の障り、どれだけ一時に諭したい。分からん事情、そこでじっと些か心得んと言うて日を送って来た。今の日柄話掛けたら、だん/\諭さにゃどういう事も諭する。残念な事が何ぼ積もりてあるや知れん。いっかどあるや知れん。世界という、並大抵でない。眺めうっとしい。小さいようで大きいで。これをよう聞き分けて置かねばならん。
どちらも3月27日午後9時半となっており、日付も時刻も同じ。しかし、年を見ると明治20年と23年とあり、違っています。
本文を見ると、文言は微妙に違いますが内容的には同じ。
おそらく同じ「おさしづ」だと思います。
どちらかの年が間違っていることになりますが、内容的には明治20年が正しいかと思います。
明治20年だと考えられる理由
ちょうどこの2日前にあたる明治20年3月25日、飯降伊蔵先生が本席となられました。本席となる前、3月11日より飯降先生は身上が差し迫りかなり衰弱していた、とされています。
このことを踏まえて本文を見てみると、
さあ/\身の内にてこれ一寸障り付けてある。どうも真実なる知らせたい。どうも分からいでならん。十分迫り切る。迫り切らん事には聞きやせん。
とあります。
このお言葉を見ると、明治20年3月27日のお言葉として取り扱うのが正しいかと思います。(このあたりはちゃんと研究しないといけないところですが。)
ちなみに、高野友治先生の『おさしづ物語』p223に、明治20年3月27日としてこの「おさしづ」が引用されています。
2.永尾よしゑ身上願(明治30年・31年)
こちらも同じ「おさしづ」が別の「おさしづ」として収録されているものです。
どちらも「永尾よしゑ身上願」で8月14日と同じなのですが、年を見ると明治30年と31年とあり、年だけが違っています。
明治三十年八月十四日
永尾よしゑ身上願
さあ/\尋ねる事情/\、身上にどうも心得ん事情という。心得ん事情尋ねば事情はもうこれなか/\。これ何ぼうとも積むに積めん、事情つかえたる事情諭す。あちらこちらどんとどうもならん。今日は尋ねにゃならん日に成ったる。事情積むに積めん事情に成ったる。身上障り身上障りもだん/\ある。だん/\事情中にどうもならん事情ある。明日は今日はと思いながら、日々夜々堪えられん事情、この事情聞き取って悠っくり書き取って、さあ多く事情あちらでこちらで、これはどうも何とも言えん。言えんと言うて、諭せんと言うは分からん。これまで道すがら、善い道ばかりやない。艱難苦労いつ/\通り、よう/\日及んだる。よう聞き分け。深い話する/\。心という理をそれ/\互い/\理以て運ばにゃ、善い理というは埋みよい。理は埋みよいというはどうであろ。これ皆勝手という。勝手という理は、このやしきには一つも無い。長い年限杖柱という理は、深い理か浅い理か、これ聞き分けば何のさゝわりも無い。皆俺も/\勝手通りたる。この日が出てからどんならん。あちら又通りこちら又通り、怖わい/\と言う。今度通ろうと思て居て、その道変わりてありたら、いか程通ろと思て通れん。よう聞き分け。長い年限何処にどうという事あったんやない。杖柱という、天より入り込み始め掛けたる理聞いて居る。これまで長い年限今日から始め掛けようかと言う。杖柱という理聞き分け。聞き分けにゃならん。聞き分けして皆それ/\治まれば一時も治まる。これはこうやけれどこれでこうと、運んでからどうもならん。どんな道付けても取れて了たら通れん。三十年以来親子諸共という、これ杖柱という理、聞き分け。聞き分けば、これ重い理か軽い理か聞き分け。金銭で買われば相当の金を持って行けばよいもの。この一つ理聞き分け。今日の障りは、ほこり強いのやろうと言う。言う者は有ろまいなれど、心の理から今一時聞き分け。西とか分からん、東とか分からん。大難という中でも舵の取りようで行く。これ聞き分けにゃ分からん。今日の日明日の日分からん。続いて行けば、何処までも行けるなれど、変わりた事やと言う。世界有りてはならん。これ聞き分けて治まれば身は何でもない。出る者は勝手に出てると言う。入る道は、どうでも我が一名以て日々送り来たる。大難からおき中にさあ危ないという。どんな中でも舵一つの取りようで治まるという。
押して、政甚の事
さあ/\話し掛けたら理を分かる。何でもないよう思て居たら、ころりと違う。末代伏せ込んだ理は、親子貰い受けて伏せ込んだ。傭人とは違う。傭人なら何ぼかやればそれで十分。親子の理それ/\ある。これ話し掛けたら、ほんに成程の理分かるやろ。もう一段話。席という、席の心さしづは、席の心のさしづと必ず思うな。今日の席と言うたる。万事一時に尋ねば一時にさしづ。さしづは何処からさしづ。皆理持ったるさしづ。席と言うたて、心映りて話すれば、話する。人間心ある。人間心持っては、舵という理は何処にあるか。聞き分けてくれにゃならんで。
明治三十一年八月十四日
永尾よしゑ身上願
さあ/\尋ねる事情/\、身上にどうも心得ん事情という、心得ん事情尋ねる。事情はもうこれなか/\これ何ぼうとも、積むに積めん事情つかえたる事情諭す。あちらこちらとんとどうもならん。今日は尋ねにゃならん日になったる。事情積むに積めん事情になったる。身上障り/\もだん/\ある。だん/\事情中にどうもならん事情ある。明日は今日はと思いながら、日々夜々堪えられん事情、この事情聞き取って、悠っくり書き取って、朝多く事情、あちらでこちらで、これはどうもならんとも言えんと言うて、諭せんと言うは分からん。これまで道すがら、良い道ばかりやない。艱難苦労いろ/\通り、よう/\日及んだる。よう聞き分け。深い話する/\。心という理恐れ/\、互い/\理以て運ばにゃならん。善い理というは埋みよい。善い理は埋みよいというはどうであろう。これ皆勝手という。勝手という理はこのやしきには一つも無い。長い年限杖柱という理は、深い理か浅い理か、これ聞き分けば何の障りも無い。皆俺も/\勝手通りてる。この日が出てからどんならん。あちら又通りこちら又通り、怖わい/\と言う。今度通ろうと思うてその道変わりてありたら、いか程通ろうと思うても通れん。よう聞き分け。長い年限何処にどうという事あったんやない。杖柱という。天より入り込み始め掛けたる理聞いて居る。これまで長い年限今日から始め掛けようかと言う。杖柱という理聞き分け。聞き分けにゃならん。聞き分けして皆それ/\治まれば、一時に治まる。これはこうやけれどこれはこうと、運んでからどうもならん。どんな道付けても、逸れて了たら通れん。三十年以来親子諸共という。これ杖柱という理聞き分け。聞き分けば、これ重い理か軽い理か聞き分け。金銭では買われん。金銭で買われば相当の金を持って行けばよいもの。この一つの理聞き分け。今日の障りはほこり強いのやと言う者はあろまい。なれど、心の理から出るものは、勝手に出てると言うて居る。道はどうでも、我が一名以て日々送り来たる。大難から多き中に、さあ危ないという、どんな中でも一つの取りようで治まるという。
押して、政甚の事
さあ/\話し掛けたら理を分かる。何でもないよう思て居たら、ころりと違う。末代伏せ込んだ理は、親子貰い受けて伏せ込んだ。雇い人とは違う。雇い人なら何ぼかやれ。それで十分。親子の理それ/\″ある。これ話し掛けたら、ほんに成程の理分かるやろう。
もう一段話、席という席の心、さしづは席の心のさしづと必ず思うな。今日の席と言うたる。万事一時に尋ねば、一時にさしづ。さしづは何処からさしづ、皆理持ったるさしづ。席と言うたて、心映りて話すれば、話する。人間心ある。人間心持っては、舵という理は何処にあるか。聞き分けてくれにゃならんで。
どちらも言辞は違いますが、内容的には同じ「おさしづ」だと考えられます。
3.梅谷たねの「おさしづ」に梅谷秀太郎の「おさしづ」が混入
3組目は少々ややこしいパターンです。
「梅谷たね身上願」の本文の中に、「梅谷秀太郎身上願」のお言葉が混入しています。
明治二十一年一月二十三日
梅谷たね身上願
さあ/\身の処さしづよう聞き分け。分からん。どんな事こんな事、今の道、理をよう聞き分け。ずつなみ人間何遍話伝えてある。幾重話ても、伝えても、めん/\心で心、心出来る。それで印がある。何遍尋ねても同じ事、よう聞いてどういうもの、めん/\思うやろう。何にも思やせん。何にも思やせんにゃ印ありゃせんで。急き居る/\/\でならん。あちらが悪い/\、こちらが悪いというのは、これをよう聞き分けねばならんで。心で思う通りに障り付くのやで。急くから咳が出る。この理を覚えてくれねばならん。そこで一つの理を諭し聞かせて置く。子供機嫌好い時に、何にもやろ、これもと思うやろう。その日の処、折々思い出すであろう。親のためには皆子、神のためには同じ子供、一寸も違やせんで。子供機嫌好き遊びあちらにやり、どうかすると又かいやもう/\/\、子供々々どうもならんという。小人々々心年取れたなら、年取れど心よう聞き分けくれねばならん。どう思うても同じ事や。どう思うても二三年も忘れかたと思うような日もあった。なれどしゅじつ/\というもの、忘れようと思うたて、忘れられるものでない程に。その道日が通り経ちたなら、何でも神の思うようになるのや。このやしき一つの証拠がある。
明治二十年十一月十三日
梅谷秀太郎身上願
さあ/\、数々の尋ねる処、数々のさしづは要らん。どう思うてもこう思うても、めん/\の思うように成らせんで。善き事というものゝ、理が回り来るのやで。通り難くい道や。通り難くかろう。そこで、皆無理に願う。許しはする。どう思うても、心に思うようには成らせんで。何ぼ心に思うても、働いても、引き戻しがなるで。通り難くい道や、止め切りたる処、どういうものや、と、思うやろう。あちらこちらに踏み止めてある。これをよう聞き分けねばならんで。一日々々と光が見えて来るのやで。そこで一日は千度と言うて、今までにも、何度も聞かしてあるのやで。その日刻限が来たなら、確かに見えて来るのやで。そこで一つの理を聞かして置こう。二十年以来に、大工伏込みと言うて置いた。二十年以来には、どう思うてもという事やと思うて、二三年も忘れたか、と、思うような日もありた。なれど、真実々々というものは、忘れようと思うたて、忘られ切るものではない程に。その道、日が通り経ちたなら、何でも神の思うように成るのや。このやしきに、一つの証拠がある。
赤字の箇所が重複しているところです。
この箇所は本席様の伏せ込みを諭されているので、梅谷秀太郎の「おさしづ」の方が違和感なく感じます。
つまり、梅谷秀太郎の「おさしづ」の一部が梅谷たねの「おさしづ」に混ざったと考えられます。
まとめ
以上、3組の「おさしづ」が編纂のミスかと思われます。
なぜこうなったのかはわかりませんが、「本部にあったもの」と「本人に直接渡されたもの」が別々の「おさしづ」として扱われてしまったとか、混同してしまったとか、そんなところでしょう。
今のところこの3組ぐらいしか知りませんが、他にもあればぜひ教えてください。