リスクを真剣に考えませんか?野生のAIが「あたらしいきょうぎ」を生み出す未来はすぐそこまで。

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです( `・ω・´)

今日はちょっと皆さんに警鐘を鳴らして、考えてもらいたいテーマがあるんです。それは、私たちが今、日々接しているAI(人工知能)について。AIの可能性やその素晴らしさを日々感じている一方で、このテクノロジーには無視できないリスクも存在しています。

テクノロジーっていうのは、一度開発されたら元には戻れないという性質があるんですよね。AIを止める、なんていう極端な議論はまさしく非現実的ですが、だからといってこのテクノロジーをほったらかしにしておくわけにもいかないよね。

我々が、どうAIと付き合っていくべきかを真剣に考えなければならないと思っています。

野生のAIが「あたらしいきょうぎ」を生み出した!

さて、僕が感じる最大のリスクとは何かと言うと、それは「新しい教義が生まれてしまうこと」です。このブログを長らく読んでくれている方々はご存知でしょう、私は教義の歪みを生む人々がたいへん苦手です( `・ω・´)ノ

ある一部の人々によって教義が変質し、その結果、楽しむべき信仰が楽しめなくなってしまうことが何よりもイヤだなと。新しい教義を生み出すことで不幸になる人が生まれるのを、絶対に避けたいと考えています。

ただ、AI技術の進化により、この問題が現実的なものになってきています。先日、Twitterでソクラテスとビルゲイツが対話しているという動画を見ました。

これです。

https://twitter.com/LinusEkenstam/status/1662073874425544706?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1662073874425544706%7Ctwgr%5E0d4889025554e4c87840ab53b4619fb3bbc379e0%7Ctwcon%5Es1_c10&ref_url=https%3A%2F%2Ftabi-labo.com%2F306844%2Fwt-ai-billgates-socrates

今は生きていない写真さえ残っていないソクラテスが、まるで本当に喋っているように見えました。ソクラテスが生み出した思想や知見は、多くの文献に記録されています。それらのストックから、AIはソクラテスが言いそうなことを生成してくるんです。

ハリーポッターを見たことのある方ならわかると思いますが、映画の中で絵が喋りますよね。あれと同じ。

ダンブルドア先生が死んでもなお、絵と話して新たな知見を得てますね。それと同じことが、現実的になりつつあるということですね。

これは何を意味するのかというと、まるで「おさしづ」のようなものが生成されて、まるで飯降伊蔵先生が喋っているようにして語られる可能性があるということです。

少なくとも、近い将来、技術的には可能になるということなんですね。

今はまだ開発途中のテクノロジーでまだ民主化されていないですが、時代が進めば、誰でも無料でキャラクターに喋らせることができるようになるでしょう。

いや、すでにそれが可能になっているサービスも存在しますね。例えば、「HAYGEN」なんていうAIサービスがそうですね。

思ったより早くそんな未来がやってくるかもしれません。

いや、そんなの浸透するわけないでしょ?

と、思うかもしれません。

「誰がそんな不謹慎なことを思いつくのさ?考えすぎじゃない?」

「そんな”おさしづ”を生成するなんて考える人、本当にいるの?」と。

でもね、ホモサピエンスの好奇心はとどまるところを知りません。きっとそんなことに挑戦しようとする人がいつか現れるんです。性善説に頼ってはいけません。

僕は「おさしづ」を生成することは絶対にNGだと思っています。

ただ、誰もそんなことをしないだろうと思い込んで対策を講じないのはリスクが大きすぎませんか?と思うわけです。

もし、そういう「おさしづジェネレータ」が実際に完成して、「AIおさしづ」みたいなものができてしまったら…。

人間という生き物は、使いやすいものに引き寄せられてしまうんですよね。難しいことに対して、自分の頭で考えなくても良い物ができたら、それをさも「答え」のようにして扱ってしまうんですね。

教会長の言ったことを「神様からそう言われているんだな」と簡単に理解してしまうのも、それに近いものがあるかもしれない。

「ちょっと咳が止まらないなぁ…AIおさしづに聞いてみよう」

すると、子供の咳が止まらないといった悩みを抱えた親が、「ちょっと”おさしづ”を伺ってみようか」と簡単に「AIおさしづ」に伺いを立てるかもしれない。

すると、「AIおさしづ」はさも「おさしづ」っぽいものを生成してきます。

それを見た人間は「おぉ、なんだかそれっぽいぞ。」と。

こうして、それらしき答えが返ってくると、頭では分かっていても、簡単に「まぁ、こういう理解でいいかな」と。

最初はおそるおそる慎重に使っていたとしても、何十年と経っていくうちに、そのような誤った使い方が少しずつ浸透していくかもしれません。

現代の私たちはAIに対してまだ「異物感」を感じているかもしれませんが、未来は分かりませんよね。

誰もが今「洋服」を着ているのが当たり前になっているのと同じで、AIも当たり前のものとして我々が受け止めるように未来はなっているでしょう。

こうして知らず知らず、「AIおさしづ」などご神言がねつ造されてしまう未来が待っているかもしれないと思うわけであります( `・ω・´)ノ

性善説に頼らずにガチで考えたほうがよくない?

使いやすいものを簡単に信じ込むというのは人間の本質的な性質です。

私たちの原始的な脳がそうプログラムされているわけで、これはもう努力とかそういった類いの精神論で解決できる話ではありません。

AIが「おさしづ」を生成するだけの技術的な土台はもう整っています。

すると、それを試そうとする好奇心を持つ人間がいつか現れて、そしてその生成された「おさしづ」を軽々しく神様の言葉と信じ込んでしまうのが人間の営みなのです。

このリスクについて、我々は真剣に考えるべきだと思います。

ここ数年でそのような事態になるとは思いませんが、そのような事態を防ぐためにも、今から我々が真剣に考えるべき問いなのではないでしょうか?

以上、問題提起がテーマのお話でした( `・ω・´)ノ

ぜひあなたの意見も聞かせてください。

今日も成人しましょう!