こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです。
なんか忙しい( `・ω・´)ノ
仕事のできる人は忙しいと言わないそうです。タスクマネジメントができる人は忙しいという言葉は使わないんだって。
でも、ぼくはそうじゃないからバンバン使いますね。
くそ忙しい( `・ω・´)ノ
なんかもうフルパワーで回してても全然追いつかねぇ。。。超眠いしカタンしたいし子どもと遊びてぇ。。。
更新頻度をあげるためにわざわざ「ひさまつのでらすべっとるコラム」というカテゴリまでつくったのに、全然更新できません。
これ、追い込みすぎたわ。
でもこれぐらい追い込まないと元来怠惰な人間なので仕方ないのよ。とりあえず追い込んどいたら、勝手に成長するだろうから今は追い込む。
ドラクエでいうレベル上げがんばることにする( `・ω・´)ノ
でも、きのうは嬉しいことがありました。そんでさっそく筆を執った次第でございます。筆とか持ってないけど。無機質なプラスチックをぱちぱち叩いてるだけだけどね。
思いつくままにバチバチ叩いていっちゃうね( `・ω・´)ノ
最近読んだある本にこんなことが書いてた
天動説から地動説に変わった時の話。
天動説ってのは、地球の周りを星が動いているという説。
地動説は、太陽の周りを地球やその他の惑星が動いているという説。
今では、当たり前ですが、地動説が正しいことが分かっています。
しかし、500年程前までは天動説がずーーっと主流だったんですね。16世紀にコペルニクスによって地動説が発見されるまで、ずーーーっと。
で、コペルニクスにより地動説が発見されたとき、何が起こったか?
何が起こったと思います??
実は・・・
何も起こらなかったんです。
コペルニクスの死後、地動説は1世紀あまりもの間、一般に浸透しなかったんです。
でも、今は受け入れられてますよね?
当たり前のように地動説が正しいことが分かっています。
じゃあ一体、どうやって天動説から地動説に変わったのか?
何か大きなきっかけがあったのか???
どう思います??
答えは・・・
何もなかった。笑
ここでもまた、何か大きなきっかけがあったわけではないんです。
じゃあ、どうやって地動説に変わったんや!?ってなりますよね。
答えはシンプルでした。
天動説を信じていた人がみんな死んで、地動説を信じる人だけが残ったから。
学説的にはやはり、コペルニクスの地動説の方が論理がキレイだったみたい。だから新しく天文学を学んだ人たちは、地動説を信じる人が増えていった。
天動説を信じている人にいくら言ってもその考えを曲げようとはしない。その人達が年老いて、新人だった人達が時代の中心に立ったとき、地動説が一般的に受け入れられていた、というわけです。
つまり、天動説から地動説に変わった理由は「世代交代」だったというわけです。
他にもニュートンの万有引力とか、ダーウィンの進化論もみんな同じ。
大きな転換期というのは世代交代によって起こっていたんですって。
超おもしれー!!!ってなった( `・ω・´)ノ
よかったら読んでみてください。
ちなみに、この世代交代の説を発表したのはトーマス・クーンという人で、『科学革命の構造』という本に載ってるそうです。パラダイムって言葉はこっから生まれたらしい。知らなかった。
これを読んで思ったのは、天理教でも同じなんだろうなって。
ぼくは今主流のスタイルで信仰をしようと思わないし、したいとも思わない。でも、今主流でバリバリやっている人たちを意見をねじ伏せてやろうとか思わない。
というか、思わなくなった。
この前の記事にも書いたけど、昔はやっぱり「ここがダメだ」「あそこがダメだ」っていっぱい思ってたし、ひたすらかみついてた。
けど、結局それじゃ何も変わらないんだよなぁ。意見でねじ伏せても意味ないってことに最近ようやく気づけた。
ぼくは変えたいんだよなぁ。
あと、この記事を読んで「まじカッコイイ!!(`・∀・´)」ってなった
そんなこと思ってたら、最近さらにその思いを強くする出来事があった。
トリイさんのこの記事自分の意見を持つことは、他人の人生を否定する事ではないを読んだ。
マジで響いたわ。
中学生風に言うと「やべぇ!超かっけぇ!!!(`・∀・´)」ってなった。
ホントなった。
一部引用すると、
相手を否定し、こうする「べき」だという思考にさせれば、短期的に人を動かすことはできます。
しかし、それでは人を「変える」ことはできない。
本当に人間の行動が変わっていくとき、そこには「たい」があるのです。
やりたい。
こんなことをやってみたい。
誰かのために、もっとしてあげたい。
そう、願望です。
「お前のやってることは違う」って言うのは簡単だけど、何も変わらない。
一時的に動かすことはできても、根本的に変えることはできない。
だからわたしは安易に否定することなく、関わった人に「たい」を生みだすような影響力のある人間になりたい、って話だった。
やべぇ、マジかっけぇ。
なりふり構わずボールを投げ散らかす
批判しても何も変わらない、根本的に人を変えることができない。
なら、どうすべきか。
ビジョンを示す
(やべ、ビジョンとか言っちゃうおれかっこいい( `・ω・´)ノ)
ぼくはこう思う。
こんなふうに天理教を変えていきたい。
天理教がこんなふうに変わったらもっと幸せな人が増えて、もっと良い社会になる。
自分で思ってるものをただ出す。
アウトプットする。
ひたすらこれでいこう。
そうすれば、一時的に動かされる人じゃなくて、根本的に変わって自分で動き出す人が生まれてくるんじゃないだろうか。いや、生まれてこないかもしれない。
でもそんなことは知ったこっちゃない。とにかく出す。
ぼくは信仰を楽しめている家に生まれたラッキーな側の人間なんだから、変えていく義務があると勝手に思ってる。
だからこそなりふり構わず出す。ボールを投げ散らかしていく。
もう、あとは知らねー( `・ω・´)ノ
と思ってたらきのう嬉しいことがあった
高校の先輩からブログを始めた、って連絡があった。
「この前ひさまつにけしかけられたから思わず開設しちゃったわ!読んでみて!」
すげぇ、さすが小向さん。。。
仕事中だったので帰って読んでみたけど、超おもしろかった!!
愛に溢れた飾らない言葉。リアルな思い。見え隠れする葛藤。。。すべてをぶちまけていらっしゃった。現役教会長があそこまで書くのはなかなか勇気の要ることだと思う。
まさにパンク。
なんとも嬉しかった。
ただひとつのブログが立ち上がっただけ。変化というほどの変化ではないかもしれない。
でも、僕がなりふりかまわず投げ散らかしているボールを受け取ってくれた人がいた。
ただ、これだけのことなんだけど、やっぱり勇気がでるよね。
小向さん、ありがとうございます。
てなわけで、どんどん投げ散らかしていきます、よろしく( `・ω・´)ノ