ギブとテイクのおはなし

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです。

今日はちょっと新しい試みで、音声認識アプリというの使ってブログを書いてみることにしました。

思ってるより精度が良くてびっくりです!
すげえ、これ!

この前友達と喋ってて思いついたんですが、ようぼくの行動規範ってギブ(give)とテイク(take)で考えたらシンプルになるなと。

そんなところを。今日はさらっと書いてみます。

 

最近は「お金を稼ぐ」ということと向き合っています

最近のわたしは、人の役に立つとか人に価値を提供するだとか言ってビジネス界隈に首をつっこんでるんですよね。

で、ビジネスの本質は人に価値を提供することで、その対価としてお金を頂くってことだと思ってるんですね。

そもそもお金ってのは価値を交換するための道具です。目に見えない価値が、目に見えるものにカタチを変えたものがお金っていうことです。

で、友達と喋ってたんですけど、お金を稼ぐことって何かいやしいことのようなイメージを持たれがちだけど、何も悪いことじゃないよね、って。

だってお金を稼ごうと思ったら、その分価値を提供しないと稼げないわけですよ。

価値を提供した分だけ、それがカタチを変えてお金として手元に残る。

 

ちょっと抽象的な話なんですけど、2つの価値を想像してください。

ひとつは自分が誰かのために提供する価値。(ギブの価値)
もうひとつは自分が誰かからいただいて消費する価値。(テイクの価値)

で、こうなったらお道的にOKなのかなと。

テイクの価値<ギブの価値

これがお道の考え方の根本なんじゃないかと思うんです。

 

ほこりの説き分けを見たらこう

というのも、ほこりについての説き分けにこんなのがあるんですよね。

よく とは、人より多く身に付けたい、何が何でも取れるだけ取りたいという心。人の目を盗んで数量をごまかし、人の物を取り込み、あるいは、無理な儲けを図り、暴利をむさぼる。何によらず、値を出さずわがものにするのは強欲。また、色情に溺れるのは色欲であります。

 

この人の目を盗んで数量をごまかし、って部分。これは昔、升でお米を量って、一升で○○円ですって売っていた頃に、この升の中に親指を突っ込んで量ると、親指の分だけ少なくなるじゃないですか。そのことを言ってるんですね。

そしたら本来提供するはずの価値(お米)が少なくなる。でもいただくお金は一升分もらう。一升分渡してないのにお金は一升分もらう。

そういうズルしちゃだめだよ、それはほこりだよって。

つまり、

テイクの価値>ギブの価値

ってことですよね。

 

逸話篇ではこう

反対に教祖の逸話篇の中に商売人なら「高う買うて安う売れ」みたいなお話があったと思います。

これは商品を仕入れる時は相場よりも高く買って、一般ピーポーに売るときは相場よりもディスカウントして売りなはれ、自分がもらう分を少なくしなはれ。ってことを言ってるんですが、これもこんな図式で言えそう。

高く買う=
自分がいただく価値(商品)<自分が提供する価値(お金)

安く売る=
自分がいただく価値(お金)<自分が提供する価値(商品)

ほら、自分が提供する価値のが大きくなってる。

 

まとめ

ほこりの話もそうだし、逸話篇の話もそうなんですけど、

テイクの価値<ギブの価値

を言ってます。てことはようぼくはこれだけ注意しといたらいいのかなと。

ね、シンプルでしょ。

ごちゃごちゃ教理をこねくりまわして、分けわかんないこと言ってる教会長さんもたくさんいるけど(※こら)、シンプルにギブ&ギブ&ギブでいいんですよね。

明日もギブしましょう( `・ω・´)ノ