ありえへん!!!テストに合格しないと別席が運べないってホント!?

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです。

この前キャンプに行ってきたんですが、ほんと自然の中はいいですね。

普段コンクリートジャングルで生活しているので、ちょっと森の中に入ると自然の恵みというか、かしもの・かりものの世界に気づかされます。

コーヒーがおいしすぎました。
ありがたい。

さて、今回は「別席を運ぶのにテストが導入された件」について。

いきなりタイトルから煽り気味ですね。

ありえない!!!と書いてますが、実はありえてました。

明治23年から昭和23年までの約60年間ものあいだ、テストに合格しないと別席を運ぶことができなかったんです。

これを別席の「初試験」と言います。

今回はこの別席の初試験について、

  • なぜテストをしていたの?
  • どんなテストをしていたの?
  • なんで今はしてないの?

といった疑問にお答えしていきます。

そもそも別席っていつ始まったの?

別席がいつから始まったのか?については、厳密な記録が残っていないのですが、「おさしづ」に初登場したのは明治21年8月2日です。

明治21年8月2日 刻限御話
さあ/\/\余の儀外の儀でないで。さあ/\万事一つの事情改める。これしっかり聞き分け。さあ/\日限の刻限、さあ/\日々の扱い何かの処扱い、さあ/\事情によって尋ねるによって、日々の刻限によって一つ改める。さあ/\事情すっきりと幾人ある中、深きの理を治めよ。さあ/\尋ね一条から知らさにゃならん。さあ/\一つの事は、さあ/\日々に替わる、何名入り替わる。一寸出越し居る。一手に筆に書き取って、日々の処不都合の事ある。さあ/\互い/\契り結んだ理を以て深き理運ぶ。これまでは日々の運ぶ事、めん/\一名一人あちらから頼む、又あちらで話合うて、一寸一日の処を幾人、それ/\事情あって、今日はめん/\の処は何名幾人幾名と、それよりも深き処の事以て運ぶ。又それ一寸一つの事情なれば、まあ/\めん/\一人だけの事情なれば、めん/\深き身の内の悩む事情、さあ/\事情という話、一つの理、事情これ聞いて置け。又めん/\縁談これ一つの事情、めん/\聞かしてある。又一つ普請、又一つ先々の事情を渡すには、一度二度三度先ず渡すには、又一つには伺い一つ、秘そかに/\。一日の日に渡す者もある。又一つにはこうのうというは渡す事情、又々多くの中の事情は又変わる。ざわざわした中ではならん。静かに/\。さあ/\取次一人でしっかり分かる。又一つには取次一つ、又一名一つしっかりと。さあ/\深きの事情と言えば、先に説いて世界はたすけ一条。さあ/\尋ね一条の理は一人で日々の処、さあ/\十分の理を諭して洗い取りてから。事情あらば通さんとは言わん。

押して、深き事情という処、梅谷四郎兵衛より伺
さあ/\一言話して置くで。さあ/\前々の処、一つ余儀無く一つの理上、余儀無き深きの事情という一つの事情、深きの事情は尋ね一条、さあ/\、深きの事情は別段席立てゝ、尋ね一条事情深き事情と。又々一つの深きの事情は、又々一度二度三度まで返やし、又々三度々々返やして運ぶ事情、又深きの理上尋ねるなら渡そうという、事情も聞かして置こう。

 

ポイントだけまとめると、

  • 日々「さづけ」を頂こうとおぢばに帰ってくる人が増えてきた
  • その中には心が治まってない者もいる
  • だから簡単には渡せないが、人は増え続けるから事情が複雑になってきている
  • 今後は心を治めるために、取次から繰り返し話を聞かせる
  • そうして心が治まった者から「さづけの理」を渡す

かなり簡潔にしたけど、こんな感じ。

MEMO

山本久二夫・中島秀夫『おさしづ研究』(上)p142-146を参考にしました。

 

天理教の教勢が増していく中で、さづけの理をいただきたい信者が増えてきたから、別席がスタートしたということですね。

 

 

なんで別席を運ぶのにテストをすることになったの?

別席がスタートしてから約1年半後、明治23年1月になると、テストに合格しないと別席が運べないことになりました。

これが別席の「初試験」ですね。

初試験が導入された背景には、こんな事情があります。

 

天理教の教勢が伸びて信者が増えてきた

別席者を希望する者がどんどん増えてきた

取り締まりが強化された

大々的に別席ができなくなってしまった

気持ちのある人だけしか受けられるようにせざるを得なかった

 

信者が増え続けて、おやしきに官憲の目が光り始めた

教勢が増加して別席者が増えてくると、どうも官憲の取り締まりが厳しくなったようです。

この頃の「おさしづ」の割書を見ると、

  • 巡査毎日々々尋ね来るに付、別席本席順序運んで居ては、何分ひっそ/\になりませんから、暫く休みまして如何伺(明治23年1月3日)
  • 二三日前より奈良警察より二名及布留巡査等村内を廻り、おやしき内へも度々入り込むに付、村方の事を探偵するや、又おやしきの事を探偵致しますや伺(明治23年1月11日)

といった様子だったことが分かります。

なので、ひっそりと別席をしなければならない状況だったようですね。

こうした状況になってきたので、

「やべーな、どうする?」

となった当時の先生方は「おさしづ」を伺っています。
これです。

明治23年1月13日
日々取扱いの本席は元三名に還ると仰せあり、又ひっそ/\と御聞かし下されど、新しき別席も致し居りてはひっそ/\となりませんから、新しき別席だけ暫くじっとして休み、これまでの分だけ別席運びましては如何でありますか、又他にひっそにする事もありますなら御聞かせの事願

さあ/\尋ねる事情話まで。さあ/\前々伝え、取扱い十分秘っそ、一つの理も悟らにゃならん。だん/\の処、日々という席という、見分け聞き分け第一々々、一つの理が諭してある。何程古いさかいと言うても、古いにならん。何程新しいと言うて、新しいに立たん。秘っそ/\の理が立たん、秘っそ/\の理が立たん。よく聞き分けくれねばならん。そこで始めた一つ成程順序。席に掛かる心から、どんな理を持って来るやら分からん。そこで見分け聞き分けてくれ。どれだけ一人では世界と言わん、万民を以て世界と言う。
(…中略…)同日、又別席取扱いの事願
さあ/\月々の席出て来る、又出て来る。随分席して、席始めるまで見分け聞き分け。一つ一寸の事、人間心の義理は要らんで。神の理が陰るという。さあ/\まあまあ当分の理だけ運んでやるがよい。

赤字の部分に注目してください。

別席をスタートするまでに、

「別席を受けたい!って気持ちがあるのか見分けてね。」

という神意なのが分かります。

 

そこで、当時の先生方はすぐに本部員会議をしました。

[voice icon=”https://aremocoremo.info/wp/wp-content/uploads/2017/05/125151.png” type=”l”]「なーなー、今日の晩ご飯どうする?」[/voice] [voice icon=”https://aremocoremo.info/wp/wp-content/uploads/2017/05/785100.png” type=”r”]「ミラノ風ドリアと、鶏もも肉のソテー—バルサミコソース添え—で。」[/voice] [voice icon=”https://aremocoremo.info/wp/wp-content/uploads/2017/05/125151.png” type=”l”]「おけ、初試験やな!( `・ω・´)ノ」[/voice]

こうして、会議で初試験が決まって、再度「おさしづ」を伺ったところ、次の「おさしづ」をいただくこととなりました。

 

明治23年1月13日 夜
初席及本席の件に付伺(前のおさしづにより中山会長より取決め下されしには、初席の者は会長と事務所一人、先生方一人、三人立合の上、身の内御話し八つの埃の理を説かせ試験をする事、試験済の者は別席に掛かる事、本席に出る時同様の上、本席を取扱う。もしも試験に合格せざる時は、日を経て又試験をする事に定め下されしが、これで宜しう御座いますや伺)
さあ/\尋ねる事情、事情というは一時取り調べ、取り締まり中に何か諭しやい、分からん事情は分けてやる。急がしい忙しいと言うて、これ分からんなりに通り来た。十分の理は些かである。一寸の理はやれ/\たんのうの理運ぶ理もあり、一時これをこうして信心の理が難しい。貰うたとてじいと納してある者もある。貰わん先心の理に合うて一つの理がある。これは生涯の楽しみの理もある。世界諭して心の理もある。たゞさづけだけ貰うた、これでよいという者もある。分からん者さづけ、世界十分通る処の理によって、一夜の間にも授ける者もある。三年五年貰いたいと信心の者もある。うっとしい難しい者もある。心の宝を求めて居て、世上の理を通る。これは不愍じゃな。何時渡すやら知れん。

 

伺いに対する解答はこの文面だとはっきりOK!というのは読み取れませんが、これで良いということなんでしょう。
実際にスタートしてますしね。

こうして初試験がスタートすることとなったわけです。

つまり、初試験がスタートした理由は、「本当に受けたいと思う気持ちがあるかどうか」を見極めるためというわけです。

初試験はどんな内容だったの?

先程の割書を見れば一目瞭然ですので、該当部分を引用しますね。

初席の者は会長と事務所一人、先生方一人、三人立合の上、身の内御話し八つの埃の理を説かせ試験をする事、試験済の者は別席に掛かる事、本席に出る時同様の上、本席を取扱う。もしも試験に合格せざる時は、日を経て又試験をする事に定め下されし

とあります。

ポイントとしては、

  • 三人が立ち会ってテスト
  • テスト内容は身の内御話(十全の守護)と八つのほこりが言えるかどうか
  • 不合格の場合は再テスト

です。

本席(さづけの理を拝戴する席)に出る前も同じテストをしたようですね。

MEMO

詳しい内容に興味のある方は、木下眞進堂発行『初試験』(大正15年発行)を参照してください。

 

なぜ今はしていないの?

昭和23年1月5日より「初試験」は実施されなくなりました。

かわりに今日まで続いている「誓いの言葉」になりました。

初試験から誓いの言葉へ変わった理由は『天理教教典稿案講習録』にバッチリ載っています。

従来は別席を運ばれる方の初試験の時に、十柱の神様のお名前とその御守護を言わしておたのでありますが、人々の中にはその理をはっきりと心におさめて仰有らずに、どうかすると丸暗記的な、しかも丸暗記するのみならず今申しましたように、それぞれ独立した十柱でおられるのだというような考え違いをする向もありますので、真柱様の深い思召によりまして、最近の初試験にはそれらは撤廃されておるのであります。
『天理教教典稿案講習録』p148-149

 

ポイントとしては、

  • 丸暗記になってしまっている
  • それぞれ独立した十柱だと誤解が生まれている

ということですね。

こうして現在はテストはなくても別席を運ぶことができるのですが、元々の思いを知っておくことは大切だと思います。

 

まとめ

まとめると、

もともと別席を運ぶ前には「初試験」と言われるテストがありました。

なぜテストをしていたのか?
⇒本当に受けたいという気持ちのある人を見極めるため

テストはどんな内容だったか?
⇒「十全の守護」と「八つのほこり」を暗唱する

なんで今はしていないのか?
⇒丸暗記とか十柱の神様の間違った理解とか、不具合が生まれたため

 

こうして見ると、初試験という枠組みができたのも目的があって、初試験から誓いの言葉に変わったのも目的があるんですよね。

ただ、そうした目的は今まったく意識されていないのが残念なところ。

とりあえず17歳になったら別席運んどけ!

みたいなね。

 

今は別席を受けるためのハードルが下がり過ぎてしまっているのかもしれません。

本当に受けたいと思ってなくても受けられるようになってるし、実際にそうした話も良く聞きます。

「別に受けたくないけど、会長さんが運べっていうから」みたいな。

 

形骸化しちゃってますよね。

おさづけを頂くことが天理教信者の証だ!

みたいな雰囲気もありますし、その考え方から見直す必要がありそう。

初試験をめぐる経緯を見ると、いつもそのように感じます。

 

色んなところで本質が見失われてカタチだけが残りつつある時代。

あなたの目の前にあるその枠組みは、元々の目的を達成するために最適なものになっていますか?

一度立ち止まって考える必要があるかもしれません( `・ω・´)ノ

今日も成人しましょう!