「アンラーン」って大事だよね、って話

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです( `・ω・´)ノ

今これを書いていて天才だなと思ったのが、予測変換に「こんにちは、だめだめ」と打つと自動的に( `・ω・´)ノまで出てきたことでして、怠惰な自分としては大変ありがたいことでございます。テクノロジーに感謝です。

そんなどうでもいい話はさておいて、本題の「本当にどうでもいい話」を今日も徒然なるままに書き記してまいります。

前回まで、ここ半年ほどの変化について大まかな経緯を書いてきました。

さて、ここから何を書こうかなぁ?と、何を書いて辱めを受けようかなぁ?何を書いて生き恥を晒そうかなぁ?と思案していたのですが、生産的な何かを書こうとしている自分に気付きまして、やはり好き勝手書き記してまいります。

なかなか古いプロトコルは抜けませんな。

というわけで、しばらくはここ半年のほどの日々で得られた気づきを思いつくまま書いていきたいと思います。

初回は「アンラーン」って大事だよね、って話。

アンラーンというのは、自分のこれまでの知識・経験によって形成されている思考・行動様式をもう一度見直し、いったん完成している思考体系を解きほぐしてみることで、新たな知見が得られて学びの可能性が広がるかもよ、といったぐらいに理解しております。

決して学ばないということではなく、「学びほぐし」などと言われたりしますね。

てか、引用しますね。

「アンラーン(unlearn)」とは、すでに持っている知識や価値観などを破棄することで、思考をリセットさせる学習方法である。 アン(un)とつくため、否定的な意味に見えるかもしれないが、自身の思考の癖を取り除くことで、より新しいことを取り入れやすくなることを意味している。

学び直しや新しいスキルを追加で取得する「リスキリングやリラーン」に対して、「アンラーン」は既存の知識などを捨てることに主眼を置いている。 既存のやり方・価値観に囚われにくくなるため、新しい学びを受け入れやすく、柔軟な思考ができるようになる点がメリットとして挙げられる。

https://career-research.mynavi.jp/glossary/jobhunting-page11/

よくよくこの数ヶ月を振り返ってみると、まさにアンラーンな日々でした。

で、今こうしてふりかえってみた感想として「アンラーン」って大事だよね、としみじみ思うわけです。

これは事後的にしか分からない感覚なので、なかなか言語化するのも難しいんですが、何だかいろんな物事の見方、世界の捉え方が変わるんですよね。

思い込み、信念、価値観、世界観、あり方、生き方。

これまで積み上げてきて、知らず知らずのうちに固まっていた固定観念のようなものと向き合い、メタ認知を働かせてもう一度見つめ直す。

年を重ねるごとに、知らず知らずのうちに、出力パターンの変動幅が狭くなっていて、大体いつも同じように考え、同じように行動していたなと。

いろんな入力に対して「それならこうだよね」と自動出力されていたわけですが、一度立ち止まって無意識に処理されていた情報処理システムを再度点検してみるような日々でした。

すると「こうあるべき」とか「こういうもの」とか「こうあらねばならない」と思っている自分に気づくんですね。

それが自分だけじゃなく、他者にも向いていたなと。

だから苦しかったんだろうなと。

天理教とはこうあるべき、ようぼくとはこうあるべき、親とはこうあるべき。

べき、べき、べき。

べきがべきを呼んで加速度的に増加していくウルトラデスループに陥っていく。笑

「こうあるべき」といった期待が高まれば高まるほど、現実との乖離が大きくなったり、現実が期待に到達する難易度も上がります。

自分で自分のことを思い通り動かすことさえできないのに、他者が自分の思い通りに動くわけないですからね。笑

結果、苦しむ。笑

自分や他者の至らぬところが目に付く。

なんと不毛なことをしているんでしょうね( `・ω・´)ノ

偉そうに言ってますが、やはり今もなお「べき」が発動することはしょっちゅうあります。ただ、苦しみが生まれる構造に気づいている分だけマシですな。気づくだけでもうまく「べき」と付き合うことができます。

とにもかくにも、自分自身の中にある、自動情報処理システムをもう一度点検してみる機会をいただいたことで、「こうあるべき」とか「こうせねば」といった思い込みに気づくことができて、やっぱり今思うことは、

マジ、よかったな、おれ( `・ω・´)ノ

ということなんですね。

で、ここからはお節介なのですが、たぶんアンラーンってのは何かしらの行き詰まり、閉塞感、このままでいいんだろうか?という問いが自分の中にないときにやってもあまり効果がないかも、と思います。

そもそも自分なりに順調に物事が進んでいて、穏やかに豊かに過ごせているときはアンラーンの必要性も低いですし。

でも、何かしらモヤモヤするなぁ…というときには、実はそのモヤモヤが自分の「こうあるべき」とか思い込みや固定観念によって自動出力される思考システムに原因があるかもしれないので、そんなときに「アンラーン」してみると、より意味のある気づきが得られるかもしれないなぁと思います。

偉そうに語りましたが、実感としては今もまだアンラーンの真っ只中にいるわけで、おそらくこれは死ぬまで続くプロセスになるのだろうとも感じます。

というわけで、今日は「アンラーン」って大事だよね、って話でした!

今日はここまで( `・ω・´)ノ