こんにちは。
ダメダメようぼくのひさまつです。
「話一条」って言葉を聞いたことがありますか?
天理教を信仰している人でも「たすけ一条」は聞いたことあるけど、「話一条」はあまりなじみがないんじゃないでしょうか。
昔は話一条という言葉は天理教の信仰生活の中でよく語られていました。こふき話に「話一条でみなたすかる」という先人の言葉があるほどです。
すごいですよね、お話でたすかるわけですから。
そこで、今回は「話一条」でなぜたすかるのか?ということについてお伝えしていきます。
そもそも「話一条」ってどこに出てくるの?
「本当に話一条なんて言葉あるんかよ??」と思う方のためにご用意しました。
こちらです。
明治23年6月17日のおさしづに
「たすけ一条の理は渡してある。話一条は諭しある。」
とあります。
あの有名な「たすけ一条」と並んでわれらが「話一条」がご登場におなりになられておられます。すごいぞ、話一条!実はこの他にも「おさしづ」の中には全部で15件、「話一条」という言葉が使われています。
ほらね、なかなか話一条も有名だったでしょ。
話一条でみなたすかる、と言われるぐらいなんだもの。そらそうよ!
ちなみに「たすけ一条」ということばが「おさしづ」に257件も登場するのは内緒にしといてね!
「話一条」でたすかった事例
「話一条でたすかる??ホンマかよ!?」と思う方のためにご用意しました。
こちらです。
増井りん先生が入信されるきっかけとなったエピソードです。
簡単に流れだけ見ていきますね。
一度目のお願いづとめ
明治7年、当時全治不能といわれたソコヒにかかり失明する
↓
息子の幾太郎、所用で大和方面へいく
↓
帰り道、男と出会う
↓
三日三夜のお願いでどんな難病でもたすけてくれる神様がいる、と聞く
↓
帰って家族にその話をする
↓
三日三夜のお願い
↓
何も変化なし
二度目のお願いづとめ
いったん諦めかける
↓
雇い人「おらいっちょ、その神様のとこ行って直接お話聞いてくる!」
↓
おぢばへ向かう
↓
教えの要点が書かれた紙をもらって帰ってくる
↓
そこには、身の内かしもの・かりもの、八つのほこり、いんねんの諭しが書かれていた。
三日三夜のお願いをするときには、必ずこの教理を胸におさめてからお願いをするように、との添え書きがしてあった。
↓
再び三日三夜のお願い
↓
目が見えるようになった!
とても分かりやすい事例ですよね。
1回目の三日三夜のお願いではたすけていただけなかったんだけども、2回目では不思議なご守護をいただけた。1回目と2回目で何が違うかといえば、2回目は教理を胸におさめてからお願いにかかっています。
つまり「話一条でたすかる」とは、ひとつのまとまった教理の話を聞いて、心に納めることでたすかるということです。
話一条とはどんな内容だったのか?
もう一度増井りん先生が入信された時のエピソードを引用します。
幾太郎はそれを読み上げてりんに聞かせた。そこには、身の内かしもの・かりもの、八つのほこり、いんねんの諭しが書かれてあった。三日三夜のお願いをする時、必ずこの教理を胸におさめてからお願いするようにと、添え書きがしてあった。
『誠真実の道・増井りん』p4
「かしもの・かりもの」
「八つのほこり」
「いんねん」
とあります。ここから話一条の内容をうかがい知ることができますね。
これだけではサンプルが少なすぎるので他の資料も見ていきましょう。これらを並べて見てみると、共通した内容が浮かび上がってきます。
この共通したところが話一条の内容だったのではないでしょうか。というわけで、色んな資料をどんどん並べていきますね。
8つも挙げてしまったので、最後に見やすい表にまとめておきました。
時間が無い方はそちらをご覧くださいませ。
では早速まいりましょう。
※特に資料の順番に意味はありません。
※読みにくいところは現代の言葉づかいになおしてあります。
宮森与三郎「だめの教」
天理教におきまして、お話の台とするところは教祖のひながた、かしもの・かりもの、八つのほこり、それからいんねんを果たすというところに帰着するのであります。
『本部員講話集・上』p20
「お話の台」という強力なフレーズ!要チェックや!!
■おもな内容
「教祖のひながた」
「かしもの・かりもの」
「八つのほこり」
「いんねん」
初代真柱手記
教祖(のもとへ)警察がお越しなりし当夜二時頃、取調べを受けたまへり。神憑りありしこと、身の内御守護のこと、埃のこと、お守りの理をお説きなされたのである。
『稿本天理教教祖伝』p283
明治19年には教祖が「最後のご苦労」をくだされます。その際に警察から取り調べを受けました。その様子が初代真柱の手記に書かれています。
ここでは、シンプルにこうしておきます。
「神憑りありしこと」=「教祖のひながた」
「身の内御守護のこと」=「かしもの・かりもの」
■おもな内容
「教祖のひながた」
「かしもの・かりもの」
「八つのほこり」
「お守り」
山田伊八郎「おさづけの理」
おさづけをするには、先にかりもの、八つのほこり、いんねんの理を十分話して…(後略)
『山田伊八郎文書』p349
かりもの一条及び八つのほこり、次に教祖履歴、至誠求道を第一とす。
『山田伊八郎文書』p340
『山田伊八郎文書』とは、敷島の2代会長の山田伊八郎先生が書かれた文書のことです。
「そのままやないか!」とツッコミたくなりますが、そのままなんです。
この2つの文はタイトルが「おさづけの理」になっているように、おさづけの理を取り次ぐ際の心得が記されています。そのままなんです。
■おもな内容
「教祖のひながた」
「かしもの・かりもの」
「八つのほこり」
「いんねん」
松村吉太郎『道の八十年』
明治19年夏の出来事として書かれています。
中山家の一室の、蚊帳のすそを吹きなぶる風の水のような冷たさは、もう夜明けに近かった。うす明りの中に桝井(伊三郎)さんの顔がほのかに見え、この世元はじまりのお話から始まって親神様のご守護—それからさらに身の内借物からいんねんについて、今はその長いお話も終わりに近づいていた。
松村吉太郎『道の八十年』p18
高安の初代会長・松村吉太郎先生が入信後まもない頃、桝井先生から教理のお話を聞いているときの様子が描かれています。
ここではシンプルにするために、「親神様のご守護」=「かしもの・かりもの」としておきます。
■おもな内容
「元はじまりのお話」
「かしもの・かりもの」
「いんねん」
諸井政一「教の理」
この話の内容は当時お屋敷に住んでいた諸井先生が、お話の稽古として、遠州に住む妹に宛てた手紙がベースになっています。全文を引用するのは長いので、小見出しだけ紹介します。
・八つのほこり
『改訂・正文遺韻』のp152〜158
ちなみにこの「教の理」が「信者の栞」のベースになっています。この話の内容を知りたい方は「信者の栞」をお読みください。
ここでは「十柱の神様の御守護」=「かしもの・かりもの」としておきます。
■おもな内容
「かしもの・かりもの」
「八つのほこり」
こふき本あれこれ
明治14年頃より教祖は「こふきをつくれ」とおっしゃいました。そのお言葉を受けて、当時の信者の方々は教祖から聞いた教理の話をそれぞれまとめました。
それが「こふき本」です。
「こふき本」はたくさんあるのですが、二代真柱様が『こふきの研究』にその内容をまとめられています。
次に、”こふき”ととなえられる書き物についてみまするに、年代とともにその内容には多少の別はありますが、概ね、
一、この世の初まりのお話
二、人間身の内の御守護
三、いんねんとほこりの話
四、をびやの話
五、教祖
六、神道見立
七、仏教見立
等になってありまして…(後略)
ここでは、
「この世の初まりのお話」=「元はじまりのお話」
「人間身の内の御守護」=「かしもの・かりもの」
「をびやの話」=「教祖のひながた」
としておきます。
■おもな内容
「元はじまりのお話」
「かしもの・かりもの」
「いんねん」
「八つのほこり」
「教祖のひながた」
「神道見立」
「仏教見立」
別席の初試験
むかしは初席を受ける前に「初試験」と言われるテストがありました。
その内容ですが、明治23年1月13日のおさしづに「身の内御話し八つの埃の理を説かせ試験をする事」とあります。このおさしづにおいて、テストの内容について「これでよい」と親神様からOKをもらっています。
ここでは「身の内御話し」=「かしもの・かりもの」とします。
■おもな内容
「かしもの・かりもの」
「八つのほこり」
まとめ
こうしていろんな資料を並べてみると、共通したお話の内容が見えてきました。
「話一条でみなたすかる」といわれるとき、はたしてどんな話の内容だったのか??
それは「かしもの・かりもの」を中心とした「八つのほこり」「いんねん」「教祖のひながた」といった内容のお話だったのではないでしょうか。
このお話を聞いて「なるほど」と納得すると心が切りかわる。すると、親神様は心通りにご守護をくださるわけですね。だからたすかる。
今はあまり「話一条」と耳にしませんが、教えが変わったのか?
ちがいますよね。いつしか説かれなくなっただけ。時が経って教理の説き方のポイントが変わってきたのです。
「話一条でたすかる」のは今も変わりませんからこのことをよく思案していきたいですね。
今日も成人しましょう!