こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです( `・ω・´)ノ
今日もこの半年の学びや気づきを徒然なるままに垂れ流してまいります。
今日は「AGREE TO DISAGREE」について。
「違いを受け入れる」ということですよね。
違っていることに同意する、といった意味で捉えています。
何で読んだか、何で聞いたか忘れてしまったのですが。
人それぞれ成長する過程で経験、環境、その他もろもろのインプットはさまざまです。
今の自分の思考や行動様式とは、そのような過去の総体によって仕上がっていると思うんですね。
価値観が形成される要因って環境が大きいんじゃ?
マイケル・サンデルが『実力も運のうち』という本を書いていて、そこで彼は、「実力は個人の努力にのみ還元されるものではなく、環境の及ぼす影響の方が大きいんではないか」といったことを主張しています。
教育サービスに携わってきた身として、とても実感値として納得できます。
もちろんすべてが「なるようになる」といったニヒリスティックな人生観とは線を引いておきたいのですが、少なくとも今の自分というものはある程度環境要因も大きいよね、という実感があるという話。
そうすると、実力だけではなく、考え方や世界観、人生観についても様々な違いが生じるのも環境要因が大きいように思うんです。
特に、世界がグローバル化し、テクノロジーの進歩によってより多様化が加速する現代においては、より一層価値観の多様化傾向はブーストしていくように思うわけです。
価値観が多様化する一方で「分断」も生まれやすくなっている
一方で、テクノロジーによって、同じ思想や考え方を持った他者とも繋がりやすくなった。
それだけならいいんですが、そのような場においては、つまりSNSにおいては、アルゴリズムによって、「同じの考え」と「真逆の考え」がわざと目に付くように、タイムラインに配置されている。
そうやって「共感」や「反感」の感情を生み出すことで、滞在時間を長くして、経済的利益を生み出している構造ですよね。
こうした構造を捉えて、自分なりのSNSとの距離感を調整できればよいのですが、そもそも脳をハッキングされてドーパミンがドバドバ出ているのでなかなか難しい。
何が言いたいかというと、アルゴリズムによって、無自覚的に自分の思考や価値観が固定化されていく力が働くということ。
こうして、フィルターバブルとかエコーチェンバーといった現象が発生し、結果として「分断」が生まれています。
お互いに「あいつらはバカだ」、と殴り合いのケンカをやりあっているわけですね。
かくいう自分も、やはりこのブログにおいては仮想敵を設定しながら、というよりも怒りがこのブログを始めた原動力ですから、やはり分断を生み出すのに加担していたように思います。
そのような反省も踏まえて、自戒を込めて。
(…と大人ぶろうとはしてみたものの、腹が立つ場面は多々あって、先日も友人の報告祭で挨拶していた上級の会長を見て沸点を突き破ってみたり、今日も元気に不徳を積み重ねております( `・ω・´)ノ)
こうして世界を見渡してみると、「価値観の多様化」と「分断」との力学が働いているわけです。
分断の発生源は「正しさ」を争う姿勢にある説
多様性も分断も、いずれも「相違」をその意味に内包する言葉ですが、ではこれらのニュアンスの違いはどこにあるのでしょうか?
それは、自分とは異なる考えに対して「正しさ」を求めているかどうか、という姿勢の違いかなと。
つまり、分断が生まれる原因は、自分とは異なる考え方に対する攻撃性によるもので、その攻撃性の発生源は「どちらの考えが正しいのか」という正解を争う姿勢にあるのではないかなと。
アイドル、好きな芸能人、好きなラーメン、好きな馬…。
好きに正しいも間違っているもありません。
みそラーメンとしょうゆラーメンのどちらが「正しい」なんてありませんよね?
スペシャルウィークとグラスワンダーのどちらが「正しい」なんてありえません。
価値観もこれと同じでして、そもそも「正しさ」を争えるような代物ではないんですよね。
こうした前提のもとで、「おれってこういう生き方が好きなんだよね」とか「こういうのがなんかカッコイイと思うんだよね」という自分なりの「推し」を見つけられたら、人生って豊かになるのではないかなと。
で、もし人生の旅の途中で、自分とは全然違う考え方の持ち主に出会っても「そういう考え方もあっていいよね」「あなたはそういう価値観が美しいと思うんだね」といった具合に、争わずに受け止める姿勢が大事なように思うわけです。
そんな意味で「AGREE TO DISAGREE」という考え方は、現代をしなやかに豊かに生きていくために大切なんじゃないかと思っております。
以上、それができたら苦労しないよなぁ…という自分に大ブーメランで血まみれになる記事でしたが、今日も小さな前進を積み重ねていけるように、頑張っていきたいと思います。
今日も成人しましょう!
補足
一個補足しておきたいのは、考え方の違いがあることを認めた上で、違うと思えばすぐに「逃走」しようぜ、って話でもあります。
どうも過去のお道のスタンダードな文脈で上の文章を読むと、違っていることを我慢して…みたいな意味に読まれそうな気もして。笑
むしろ逆で、好き嫌いの問題なんだから、つまり正しいかどうかで競わなくて良いんだから、今のあり方が嫌いなら逃げ出していいと思うよ、ということでもあります。念のため( `・ω・´)ノ