実行段階における理想のシステム

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです( `・ω・´)ノ

前回は実行プロセスの3段階のうち意思決定のあり方について考えました。

今回は実行段階について。

前回の内容をサラッとおさらいすると、VUCA時代における理想の意思決定のあり方は手続き的公正に基づいて集合知を活用するのがいいと思う、ってお話でした。

で、そのようなプロセスによって決定したことを実行にうつすとき、どのようなシステムが理想なのかについて、今日は好き勝手書いてまいります( `・ω・´)ノ

実行プロセスの概要のところでも書きましたが、実行段階におけるポイントは2つだと思っています。

まずは意思決定の段階で目的をもって決定されたことを、その目的を実現するのに寄与しないようなあり方で実行がなされては意味が無いですよね。

それを回避するために、手続き的公正による意思決定が重要というのがまず1つ目のポイント。

要するに、意思決定の段階で手続き的公正というプロセスを重視すれば、自然に目的と手段が組織メンバーに浸透していて、ズレが生じにくいということです。

これは前回の記事でも書いたので省略。

指揮命令系統の明確化が大事だと思うけど、マクロに限った話。

二つ目は、指揮命令系統を明確化することが大事なのかなと思っています。

指揮命令系統の明確化とは、簡単に言えば、責任と権限の分配です。

中央から末端へ、権限を渡すんですね。で、権限を握るというのは、同時に責任を背負うということを意味します。

その意味で言えば、そもそも天理教全体でみれば大きな一つの組織ではないんですよね。大教会と分教会の関係は組織と呼べないものです。

マクロ

教務の手続き上は大教会を通す場面が多々ありますが、そもそもとして各地の教会に何か大教会から権限を与えられているわけでもなく、そもそも別に権限を与えられなくても自由にやっても良い。

つまり「やってはダメ」という制限はもともとないので、大教会と分教会の関係は組織と呼べるものではないのかなと。

ただ、実質的なシステムとして機能してしまっているところに問題の本質がありそう。

事前に決められた制度なのであれば、システムエラーが生じたときに変更も可能ですが、制度ではなくどちらかというと空気という謎の行動原理によって、さもシステムのように機能しているわけで。

しかも、たちが悪いのは「上を奉るのがさも信仰であるかのような合意」が生まれ、歴史を重ねるうちにさも当然のように文化的に根付いてしまい、もはや人間が人間を奉るという新手の教義を生み出してしまいました。

その教義によって、生まれながらにして奉られて育ち、そもそもその教義自体に疑問さえ抱かない権力者が、システムそのものに何の疑問も抱かないまま暴走したことで、これだけの大教会の事情を生み出すという被害の連鎖が生まれてしまいました。これは明らかなシステムエラーです。

人が悪いのではなく、システムが悪いのです。

ある意味では、素直に育っているだけなのに、暴走してしまう人もまた被害者なのではないかなぁと思うわけで、だからこそこのシステムエラーを何とかしたいですし、何か貢献できることはないかなぁと思って、今日もまた気づけばただの悪口をこうしてつらつらと書いてしまっております( `・ω・´)ノ

ここまで20分ほどで書けました、なんとまぁ悪口になれば筆が進んでしかたありません、夏のビールと同じだな( `・ω・´)ノ笑

話を元に戻すと、現状はそもそも責任も権限も不明瞭、人間関係による空気感によって、大教会と分教会の関係になっているので、そもそも組織と呼べるものではありません。

もし、組織して機能させたいのであれば、権限と責任を分配して、指揮命令系統を明確にするのが大事だと思います。

ミクロ

ここまでは大教会と分教会といった巨視的な視点で組織性を捉えてみたのですが、もう少しミクロに見ると、各教会単位における理想の組織システムはどうなんでしょうか?

結論からいうと、教会次第なのかなと。導入すべき規模やそもそもの文化が教会によって多様なんですね。

で、VUCA時代はこの多様性というのが武器なわけです。生物も多様性によって生き残っていく種とそうではない種があるわけですが、教会もまたこの多様性によって、自然淘汰にさらされながら残るものは残る。

そうすると、変に理想はこうだ!という具体的なテンプレのようなものを用意しない方が結果的に生存戦略として有効なのかなと。

これはミクロに限らずマクロにおいても言えそう。

そんなわけで、理想の組織についてあれこれ考えてきて、もっと踏み込んで理想の組織像を具体化していきたいという思いからスタートしたこのシリーズではありますが、そもそもゴールの設定が間違っていたように思います。

ある程度の抽象度を担保しないと、そもそもの目的(陽気ぐらしの社会への実装)が実現できない。つまり多様であることが武器であって、具体的な組織のあり方に踏み込むことでテンプレのようなものができあがってしまい、結果的に目的実現へ寄与しないシステムができあがってしまうのではないか?と思ったわけです。

最終的に、もっと踏み込んで具体化しようと当初は思っていましたが、現在の抽象度が限界な気がしてきております。

というわけで、このシリーズの最終回はもう近いということが見えてきました。

何とか年内に終わらせたいなぁ( `・ω・´)ノ

今日も成人しましょう( `・ω・´)ノ