集団でものごとを進める3つのメリット

こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです( `・ω・´)ノ

前回の記事で、天理教はこれからどんな風にに変わっていったらいいのか?というテーマについて、組織論の観点から考えていきたいなというお話をしました。

個の時代と言われているけれども、やっぱり集団の可能性というのも僕は感じていて、チームや組織にすることで得られるメリットもあるんですね。

そのあたりのところ、今日はつらつら書き綴っていきたいなと思います。

やってみたら個の限界を感じたぞって話

ちょっと個人的な話で恐縮なのですが、僕はこれまで天理教の組織から一歩距離を置いてきましたし、そもそも「これじゃダメだろ」と思っていたので、自分の貴重な時間もそこに費やす気になれないなという大変利己的な理由から一歩引いて見ていました。

また、仕事も本部勤務でお礼勤めを2年したのち、会社員として働いていたんですが、そもそも組織というものが苦手なんでしょう、ワガママですから。気づけば会社を辞めて今はフリーランス的な働き方をしてもう4年が経ちました。

独立してからはまったくチームを組まずに、ほぼ一人で仕事をしてきたので、それなりに「個」としてプロジェクトを進めるとはどういうことか、理解しているつもりです。

この経験は自分のスキルアップにはとても有効だったと思っていますが、同時に個には限界があるということも分かってきました。

どんな場面で、どんな限界を感じているのか?

細かい話をするときりがないので、3つだけ紹介させてください。

個よりも集団であることによって得られるメリットと読み替えてもかまいません。

個<集団のメリットその1:インパクト

1つ目は社会に与える影響力です。

社会を変える実行力とも言えます。横文字にするとインパクトというやつです。

これはわりとイメージしやすいのではないでしょうか。

シンプルに1人でやるより、みんなでやった方ができることって増えますよね。

集団になることで、より大きな社会課題に取り組むことができたり、より大きな喜びを与えられます。

こどもおぢばがえりとか、まさにそうですよね。

1人でも子どもを楽しませることはできるけど、集団になることでKOGのようなビッグプロジェクトが実現でき、さらに大きな喜びを与えることができちゃいます。

こんな話を聞いたことがありませんか?

川のほとりを歩いていると、「助けてー」という叫び声が聞こえてくる。ふと川の方に目をやると、子どもが流れてきている。

必死になって子どものところまで泳いでいき、子どもを岸まで救い出す。一安心していると、また「助けてー」という声ととともに子どもが流れてくる。再び子どもを助け出すと、三度子どもが流れてくる。

おかしいと思って川上の方へ目をやると、橋の上で子どもを川に投げ捨てている人がいる。流れてくる目の前の子どもを助けないといけないけど、本当の原因は川上にあって、それを止めない限り本当に問題は解決しない。

このストーリーは、表面上の問題とその奥に潜んでいる本質的問題のジレンマとして語られます。

僕はこの話を聞くと、いつも個の限界を思い出します。

僕はいまフリーランスとして中学生の学習支援サービスをしているのですが、それは川に流れてくる子どもを助け出している役割だと自分では思っています。

今の教育システムによって発生する問題の本質的な解決策には決してならない。

教育システムを変えたいなら、やはり組織としてみんなの力を一つにして取り組まなければならないなと痛感しています。

本質的な問題の解決や大きなプロジェクトを進めるには、集団でなければできません。

これが1つ目。

個<集団のメリットその2:モチベーション

個よりも集団であることによって得られるメリット2つめ、それはモチベーションです。

人間というものはそもそも大変怠惰な生き物で、一人になった途端にサボり始めます。

僕のように強力な意志の持ち主であれば、ブログの毎日更新など朝飯前のイージータスクで、モチベーションなど問題にもならないわけですが、やはり普通はなかなかそういう訳にはいきません。

『あれもこれも』という鼻息の荒いブログを知っていますか?

記事の中での興奮ぶりとは裏腹に、更新頻度は冷め切っています。

鋼よりも強い意志を持っている僕にはその感覚が微塵も分からないのですが、やはり普通は一人だとモチベーションが続きません。

リモートワークになった途端、「やる気が出ねぇ、生産性が上がらねぇ」っていう人がいますが、やはりそういうことなのでしょう。

そういえば、高校時代の部活で100mを100本走るなんていう地獄の練習がありましたが、これもやっぱり1人でやれと言われたら無理です。

隣で息も絶え絶えになりながらなぜか笑っている焦げ茶色のサブや、地獄的状況にもかかわらず尋常じゃないテンションで甲高い声を張り上げているポポがいたからこそ。

そう、仲間がいたからこそ頑張れたのだと思います。

もともと人間には社会性がプログラムされており、そのプログラムを活用することでより大きな力を発揮できるようになっているんですよね。

個よりも集団として、チームとして、組織として、お互いに刺激し合うことで、そのモチベーションが高まることは間違いありません。

個<集団のメリットその3:意思決定の質

3つ目は、意思決定の質です。

個人的には、これが最大のメリットだと思っています。

人間てのは、一つの目で物事を捉えるのと、たくさんの目で物事の捉えるのとでは、当たり前ですが後者の方がより正確に物事を見つめられますよね。

ピラミッドだって横から見れば△ですが、真上から見れば□になります。

多面的にものごとを見られる方が、その実体をより正確に理解できることは疑いようもありません。

このことは、VUCAと呼ばれる現代社会において「より正しい意思決定」をするために欠かせません。

VUCAというのは、聞き慣れない言葉かもしれないので、ちょっと引用しておきます。

「VUCA(ブーカ)」とは、ビジネス環境や市場、組織、個人などあらゆるものを取り巻く環境が変化し、将来の予測が困難になっている状況を意味する造語のこと。「Volatility:変動性」「Uncertainty:不確実性」「Complexity:複雑性」「Ambiguity:曖昧性」という、4つの単語の頭文字から成ります。

引用元:【3分でわかる】VUCAの時代で何が変わる?取り残されないための4つのスキルとは

要するに、変化が早くて、複雑で、今後どうなるか予測が立てられないような社会のこと。

これまでの常識が通用しない、めちゃくちゃ複雑な時代なんですよね、現代は。

そんな複雑な時代において、ひとつの目でものごとを捉えていては、その意思決定の質は上がりません。

たくさんの目が必要です。

最近、『多様性の科学』という本を読んだんですが、そこに興味深い話が載ってました。

2001年の世界同時多発テロのとき、アメリカはなぜビン・ラディンの動向をつかめなかったのか?

当時、CIAは糾弾されました。

「君たちは何をしていたんだ?諜報機関じゃないのか?どうしてこんなアメリカ国内でこんな大規模なテロが起きてしまったのか?これだけの規模なら事前に察知できたんじゃないのか?」

CIAというのは言うまでもなく優秀な人達の集まりです。エリートでなければそもそも入れませんし、残れません。

それでもなおテロの芽を見抜けなかったのはなぜなのか?

CIAは問題の検証を始めました。そして、こう結論づけたのです。

多様性がなかったことが原因だ、と。

当時、CIAのほとんどが白人男性で、中上流階級出身で、大学を出た人たちばかりでした。

人種は問題ではありません。育ってきた環境が同じような人たちは、同じような視点で物事を捉えてしまう、これが真の問題です

そのせいで物事を多面的に見つめることができず、テロの芽を事前に察知することができなかったというわけです。

一人ひとりは頭が良くて知識も豊富だ。しかし互いに知っていることも視点も似通っている。いわばクローンの集団だ。これがCIAにおける問題の根幹だった。

マシュー・サイド『多様性の科学—画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』p67-68より引用

ついでにもう一つ。

1980年代末、イギリスでは「人頭税」と呼ばれる税制が導入されました。

結論から言えば、これは大失敗に終わりました。

人頭税は、所得に関わらず全国民が一律に支払う義務を負わされるシステムでした。

一律ですよ、所得に関わらず。

ヤバすぎです、うまくいくはずがない。

実際に全国土で大混乱が起こり、すぐに撤廃されることになりました。

どうしてこんなことが起こったのでしょうか?

多様性がなかったから、と結論づけられています。

当時、この人頭税の審議会メンバーは貴族出身のエリートばかりでした。幼少期から隣の家まで10キロ以上離れていたような大邸宅で暮らしているような人も。

そんな似通ったメンバーが、一般市民の感覚など分かるはずもありません。

イギリス社会の他の階級や社会的地位を代表する者は1人もいなかった。(中略)みな頭脳明晰だが、みな同類でもあった。(中略)多様な知識や経験が特に欠かせない政策決定の場でこうした画一的な集団に責任が委ねられたのは悲劇でしかない。

しかも皮肉なことに彼らはみな、審議委員会での討議がこれ以上ない素晴らしい体験だった、と語っている。(中略)審議委員会の面々はミラーリングでオウム返しに同調し合い、肯定し合い、自分たちが正しいと信じ合った。彼らは同類たちが集まった温かい環境にどっぷりと浸かっていた。その結果、自分たちが推し進めている人頭税は賢明な政策だと錯覚した。

マシュー・サイド『多様性の科学—画一的で凋落する組織、複数の視点で問題を解決する組織』p72より引用

怖すぎ( `・ω・´)ノ

VUCA時代における意思決定の場面では、この多様性の力を借りなければなりません。

あらゆる視点でものごとを立体的に捉え、問いを立てる必要があります。

この意味において、個における意思決定には限界があります。個人の単一な目では意思決定の精度は上がりません。

ここで新たな問題が出てきます

この例を見てると、単に個よりも集団が必ずしも優れているというわけではありませんよね?

集団になればいい、という単純な話ではないのです。

集団であるから安心というわけではなく、価値観を同じくした画一的な集団であればそれは結局単一な目と変わりません。

つまり、ある一定の条件を満たした場合のみ、個よりも集団であることによってメリットが得られる、ということです。

場合によっては、悪条件が揃ってしまえば、集団よりも個にメリットが生まれてしまうことも。

ほら、現状がそんな感じじゃないですか( `・ω・´)ノ

じゃあ集団のメリットが発生するのは、どんな条件を満たしたときなのか?

一方、集団による弊害ははどんな条件のときに発生してしまうのか?

そのあたりはまた次回以降にします( `・ω・´)ノ