こんにちは、ダメダメようぼくのひさまつです( `・ω・´)ノ
前回の記事で、
- 組織とはツールである
- とある目的を効率的に実現するための手段である
といったように、一般論として組織の存在意義を確認してみました。
今日はそこから一歩進めて、
ツールならば組織の統治&実行システムは変わってOKだよね
という前提のもと、
天理教の組織を変えるなら、生まれ変わった組織が果たすべき役割って一体何があるんだろう?
といったことについて考えていきたいと思っております。
なお、このコラムは自分自身の思考を整理するために書いているので、大変雑な感じになりますが、ごゆるりとお付き合いください( `・ω・´)ノ
そもそも天理教の組織における目的は何か?
組織はツールであるという前提を置くならば、とある目的を実現するためにあるわけなので、
まずはその目的って何なのか?
から考えないといけません。
基本的に「なぜ組織は存在するのか?」という問いが立たないまま「この難局を乗り切るにはどうすれば良いのか?」という問いを立ててしまうから、本質的な答えが見つからなくて詰むんですよね。何事もwhy型の問いを先に立てないといけません。
ですが、これはもう、
陽気ぐらし世界の実現
ということで良いのかなと思っております。
これさえも疑うというクリティカルシンキングの姿勢は大事なのかもしれませんが、一旦ここは前提として進めさせてください。
僕自身はこれで納得しています。
しかし、一体陽気ぐらしとは何でしょうか?
抽象的なあまりに解釈の自由度が高すぎて、具体的な定義は人それぞれに委ねられているような気もします。
そもそも、その定義を具体的にできるものでもないですし、仮に具体的に定義してもズバピタで本来的な意味を記述できるとは思えません。
使い勝手のよい言葉で言えば、
「正解のない問い」
「正解は人の数だけある」
って感じ。
しかーし!
それでも我々は勇気を持って具体化せねばならぬのだ
組織として活動するならば、それは仮であったとしても、ズバピタで本来的な意味を表せなかったとしても「具体化」が欠かせません。
なぜなら具体化しない限り、人間の行動は変わらない=実行されないからです。
もし政治家が、
「マジでイイ感じのやばい社会を作りたいんです」
「マジ卍な社会を一緒につくりましょう!」
って言ってたら、どう思いますか?
だれも投票しません。それはバカっぽいというのはさておいて、具体的にどのような社会になるのかが見えないからです。
それでは投票意欲、すなわち行動意欲が湧きません。
何かしらの行動を引き出したいなら、リアルに映像化できるレベルで、具体化する営みは欠かせません。
「天理教をより良くしたい」
「より良い教会を作りたい」
と思うなら、そのフワッとした言葉を具体化に具体化を重ねて、最終的に行動レベルにまで落とし込まなければ、一生良くなることはありません。
具体化して「目的は目標に」「目標はタスクに」
ただ、実際問題として「具体化」するときに、いきなり抽象的な目的を具体的なタスクレベルにまで落とし込めるわけではありません。
抽象のはしごを一段ずつ降りながら、
てっぺんにある目的をいくつかの大きな目標に分割して、
大きな目標をさらに小さな目標に分割して、
その目標をさらにタスクにまで分割して…
というループを繰り返し、最後にタスクに落とし込みます。
つまり「目的」は「目標」に、「目標」は最終的に「タスク」レベルに、少しずつ抽象度を下げていくことになります。
これでようやく理念を現実に実装する準備が整います。
陽気ぐらし世界の実現という目的を実現するためには、その目的実現に紐付いたタスクが「実行」されてはじめて、陽気ぐらし世界の実現に一歩近づくわけです。
…なんだかこの発想自体が資本主義的な「効率性」から抜け出ていない気もしますが、効率化のサイボーグと呼ばれる僕の戯れ言コラムですので、このまま進めます( `・ω・´)ノ
では、だれが「具体化」を進めるべきなのでしょうか?
一体だれがその役目を果たすべきなのでしょうか?
僕は「個人」も「組織」も、だと思っています。
特にこの複雑化した現代社会において、個人の機動力は武器になりますし、組織に任せておけばいいという時代ではありません。
ただ、この記事では「組織論」というテーマを掲げていますので、一旦個人については横に置いておきます。
このあたりで一度、天理教における組織とは何かを言語化してみると「陽気ぐらしという抽象的な理念を具体化して社会に実装するためのツール」と言えるのではないでしょうか。
組織って一体だれのことを言っているの?
あ、そうそう。
組織というと教会本部を中心とした統治機構を想像される方が多いのかなと思うのですが、教会本部はもちろんですが、各地の教会も同様だと思っております。
しつこいですが、複雑した社会において中央集権的な組織が果たす役割は縮小し、機動力の高い小さな組織が果たす役割は今後より一層拡大していきます。
「大教会長様の言うことを聞いておけば良いのだ」という時代はとうの昔に過ぎ去りました。
各地の小さな組織ごとに、
「我々は陽気ぐらし世界実現というビッグプロジェクトを成功させるために、一体どのような目標を設定すべきなのか?」
という問いを立て、実際にスモールプロジェクトが立ち上がり、最終的に実行に移されなければなりません。
教会にはもう一つの顔もあるよね
ただ、実際問題として各地の教会には「別にプロジェクトとかそういうの考えたことないけど、みんなが仲良くやってたらそれでいいじゃない」という側面もあります。
これはもう確実にあります。
教会というのは目的実現のための手段としての「組織」であり、同時に目的達成とは無縁の「コミュニティ」でもあります。
ここにハッキリとした境界線を引くことはできません。
ぶっちゃけ僕自身もあまり整理できていませんが。
ただ、ここではひとまず「組織論」がテーマという前提に沿って、教会は目的実現のための「組織」であるという側面にフォーカスして論を進めます。
一旦まとめると、今後は組織というとき、教会本部に限らず各地の教会なども含んでいるとお考えくださいませ。
もう頭が限界なので「まとめ」
ややこしくなってきたので、一旦整理させてください。
組織には、
- 陽気ぐらしという抽象度の高い理念を社会に実装するために、
- その目的を具体化する営みを経由することで、
- いくつかのプロジェクトを設定し、
- 最終的にそれらのプロジェクトを実行する
という役割があるという感じですね。
そうすると、この役割のもとで活動する組織には、
- 具体化によって目標やタスクを決める「意思決定機能」
- 決定事項に基づいて活動する「実行機能」
- 実行のフィードバックに基づく「検証機能」
が備わっていて、これら3つが相互作用しながらワークする、って感じかな。
シリーズ4回目にして、自分の中ではようやくちょっと見えてきた感があるな( `・ω・´)ノ
なんだか最初の問いとはズレているけど、結構書いていてしっくりくるぞ。
どうなんだろう?
どう思いますか?
ひとまず今日はここまで。
今日も成人しましょう!