こんにちは、ひさまつです。
朝ごはんを食べているときに、ヨーグルトを口に運んだつもりが、一瞬のうちにいちごジャムに変わっていました。
これが魔法というやつですね、寝ぼけているときによく魔法を繰り出せます。
今回は理の親といわれる信仰について。
これによって信仰をやめたり、天理教はそんなもんかと思われたりするのはもったいないですよね。
うちの上級の会長さんはほんとにとても素晴らしい方なので、そういう方ばかりだと何も問題ないんですが、実際のところそうではないのが現実です。
そもそも上級という言葉自体に「上下関係」が見え隠れする。そこで今回は「理の親」という言葉によってできあがっている「上下関係」に注目して、ほんとにそんな教理はあるのか?を明らかにしていきます。
理の親ってどんな意味で使われてるの?
理の親という言葉は、所属する教会の会長さんであったり、いわゆる上級教会を指して使われる場合が多いかと思います。
旧版の天理教事典には次のようにあります。
順序
理の子は理の親に向って、また部内教会は上級教会を通して教会本部へ、尽くし、運ぶ。このような信仰の道筋を欠かすことなく追い、運ぶことを「順序の理を運ぶ」という。
人間と人間、教会と教会に高い低いの序列があって、このことを「順序の理」という。こうした高い低いの序列において上に立つ者を「理の親」という、みたいな。
こうした意味で、一般的に使われているかと思います。
理の親ってどこにでてくるの?
理の親という言葉はおさしづ中に1件出てきます。
明治32年8月28日 峰畑為吉三十九才身上願
他に分教会順序これまでそも/\″であったやろ。何か事情心に掛かったやろ。一時事情前一つ理はもう無くなった理、又改まりた理は、道順序の理。道の親、理の親、これ心にちんと治めてくれ。
なんだか意味はよく分からないけど「分教会順序」とか「順序の理」とか「理の親」と出てくるし、高い低いの序列のことを言ってそうに見えますよね。
(くわしい解釈はのちほど)
理の親と出てくるのは、三原典ではこれだけです。「おふでさき」「みかぐらうた」には出てきません。
いつから語られはじめたの?
「おさしづ」では1件だけなのですが、先人が遺された書き物にはちょいちょい出てきます。
増井りん「精神一つの理」
学校の職員方は理の親であります。その親の仕込みをチャンと心におさめ、何知らぬことないように、親の仕込みを杖とも柱ともして通らねばなりませぬ。
この心で通るので一手一つの心になる。世界一列兄弟が心を合わせて通るようになれば、神様はおたのしみ、人間もまたたのしみでございます。
増井りん「心の勤め」
お道は、会長となりては道の理の親であります故、人を育てるという大きい心になりて役員信徒を仕込み、役員もこの会長の心を心として道を通らしていただき、傍の皆様はまた、その精神をもって道のために、働かねばなりませぬ。そうして、この三本が寄り合うて力を入れて教会が立ち、教会が栄えるのであります。
どちらも「理の親」という言葉が出てきてますね。
また、直接的に「理の親」というフレーズはありませんが、教会や人間同士の上下関係に触れられているものもあります。
『山田伊八郎文書』手記六の七頁 p397
このお道はどうでも教会教会の順序は申すに及ばず、その他役員及び会長様への順序、この順序立てること肝心である。また、この理を立てるで立ってくるのや。これ「しみせ」つけるで、布教先々から、順序立ててくるので我が身も立ってくる。
『山田伊八郎文書』日誌 大正二年十月二日 p465
我々、又、一番の心得
第一に、天理を明かにすること。頌席是が第一。
第二、人倫を明かにする事。教会及び人間は親子。
第三、順序を明らかにする事。
右三ヶ条を皆々守る事。
但し、是を外づれては道でなし。
けっこう色んなとこに出てきてます。増井りん先生や、山田伊八郎先生は明治を生きた方々ですから、明治の頃からすでに理の親と言われる信仰はあったんだと思います。
当時はまだまだ封建時代の空気感が残っていた時代。「上の者を敬う」といった儒教の教えをベースにした感覚が普通だったんだと思います。
こうした儒教的な感覚が教会組織が整えられていく過程において、教理として入ってきてしまったのではないでしょうか。
しかし、こうした上下関係の序列を認める記述は原典には見られません。むしろ否定されています。以下で見ていきましょう。
人間同士の上下関係は「おさしづ」でNGが出てる
人間同士における上下関係は「おさしづ」において明確に否定されています。
3つの例を挙げてみるので、読んでみてください。
明治28年5月13日
早く/\と事情、これまで何遍諭したやら、これ知れん。よう聞き取れ。一時の処、どうなろうと思う。双方の心にとって皆々高い低いの理は無い。ろっくな道なれど、勝手の理よりだん/\高低の理を拵え、あちらへこちらへ擦れ、心の理は散乱。たった一つの理を、兄弟一つの理、後より出けた理もあろまい。先へ出けたという理は無い。
人間が勝手にだんだん高低をこしらえて心を乱し、兄弟という大切な関係を壊していることを戒められています。
明治33年12月4日
何が何役という名は無い/\。勝手に付けたもの。このぢばへ尽した運んだ者引き出して居る中、高い低いは無い。一列隔て無いは、教祖の道と言う。高い低いの隔て無いは、教祖の道と言う。
どストレートに「高い低いは無い」と言われています。
明治28年8月3日
このやしき高い低いの区別は無い。(中略)姉弟三人めん/\は末子。姉という、親ともいう。世界並から言えば戸主なれど、神一条の道では功を積んだ者がそれだけの理という。
こちらもどストレート。
「このやしき高い低いの区別は無い」と言われています。
これら3つのお言葉を見ると人間同士における「上下関係」は否定されていることがわかります。
神ー人間は親子で、人間ー人間は兄弟の関係
天理教においては神ー人間は親子の関係です。
親神様と言われるぐらいですから、今さら詳しい説明は不要ですよね。
では人間—人間はどうでしょうか?
こちらも「一れつきょうだい」とよく言われるので、なじみがあると思います。
人間ー人間は兄弟の関係です。
ここで注目ポイント
さっき引用した「おさしづ」には、次のようなお言葉があります。
「このぢばへ尽した運んだ者引き出して居る中」
「世界並から言えば戸主なれど、神一条の道では功を積んだ者がそれだけの理」
という部分です。
これらのお言葉からは「上下関係はないけど、これまでの通り方によって自然に差は生まれる」という意味が読み取れます。
つまり「立場が○○だからとか、先に入信したからとかは一切関係ない。誠の心で通ってきた者は、自然と周りの人から慕われて「上の者」として引き立てられますよ」ということでしょう。
理の親とある「おさしづ」を解釈する
さてもう一度、理の親というフレーズが出てくる「おさしづ」の登場です。
ていねいに解釈していきます。
明治32年8月28日
峰畑為吉三十九才身上願
他に分教会順序これまでそも/\″であったやろ。何か事情心に掛かったやろ。一時事情前一つ理はもう無くなった理、又改まりた理は、道順序の理。道の親、理の親、これ心にちんと治めてくれ。
まずは背景事情から
先に背景事情を理解しておくと、この「おさしづ」が理解しやすくなります。
この「おさしづ」の数年前、敷島の初代会長・上村吉三郎先生が出直されます。その後、約3年間は会長が決まらないゴタゴタがあったのですが、最終的に3名に絞られました。そのうちの1名が、この「おさしづ」をいただかれた峰畑為吉先生です。
この頃のゴタゴタについては『山田伊八郎伝』に次のようにあります。
幹部役員割拠して策謀する因縁の姿、即ちそれぞれが自己を主張し、自分が先輩や、いや功績がある、といった具合で、元の理、順序の理をわきまえず、深い教祖の思召しなど忘れ、ただ曇りの事情、罪の事情を重ね、それぞれが勝手な理をこしらえ、肝心なおたすけさえそこのけに後担任問題に明けくれていたようである。
『山田伊八郎伝』p183
大変なゴタゴタですね。。。はい、何も言えません。
以上を踏まえて解釈スタート
①〜③に分けて解説します。
①他に分教会順序これまでそも/\″であったやろ。何か事情心に掛かったやろ。
分教会順序とはこの一連のゴタゴタを指しています。
結局、二代会長は山田伊八郎先生になるのですが、この事情を通して峰畑為吉先生が色々と心を悩まされたのでしょう。
②一時事情前一つ理はもう無くなった理、又改まりた理は、道順序の理。
もう無くなった理とは、上村吉三郎先生。
改まりた理は山田伊八郎先生。
「道順序の理」とは、山田伊八郎先生が古くから歩んできた通り方のことを指していると考えられます。
つまり、山田伊八郎先生が敷島の二代会長となったのは、長い年月を誠の心遣いで通ってきたからこそである、と諭されているわけです。
それを踏まえて登場するのが次の一文です。
③道の親、理の親、これ心にちんと治めてくれ。
山田伊八郎先生は道の親、理の親である教祖へ向かって誠を尽くされてきました。この信仰はゴタゴタのさなかであっても変わらなかったことが、手記から分かります。
明治32年2月12日伊八郎手記
銘々に皆のぼろう思うて、自分の身欲からのぼるのはよけれども台かくがのうて昇りていられようか。すぐと落ちんならんが道理なり。
昇れば昇るとて、それだけの理を世界に積んで昇りてこそ。台格ありて落ちること、さらになし。それを知らずして我が身ばかり助かろうと思う心が違うなり。我が家無くなろうと、我が身すたろうと、誠の心から世界助けたいとの心の理が、助ける理が助かるのである。(中略)親がうかぶよう、道のため、世界のため尽くす運ぶ、日々にこの心の理が天へ孝心。親へ孝心。
『山田伊八郎伝』p184
ゴタゴタのさなかでも、山田伊八郎先生は誠の心をもって、ただ教祖へ心を向ける信仰を貫いていたわけです。
つまり、、、
つまりですよ、、、
「道の親、理の親、これ心にちんと治めてくれ。」とは、日々を教祖へ向かって誠を尽くすように諭されているわけです!!!
こうした背景からすれば、ここで出てくる「理の親」とは教祖のことを指しているのは明らかですね。決して人間同士や、教会同士の序列のことを言っているわけではないんです。
まとめ
「理の親」と言われるとき、その背景には「順序の理」といった人間同士の序列が見え隠れします。
確かに、先人の先生方が語る内容には「理の親」や「教会順序」といった序列がでてきますが、これは時代が時代だけに儒教的な補正が入ってしまったんだと思います。天理教においては、決しては重要な教えではありません。
少なくとも「おさしづ」においては、明確に人間同士の序列は否定されているわけですから。
天理教事典(旧版)にあるような、
「理の子は理の親に向って、また部内教会は上級教会を通して教会本部へ、尽くし、運ぶ。このような信仰の道筋を欠かすことなく追い、運ぶことを「順序の理を運ぶ」という。」
こうした教理はない、とハッキリ言っておきます。
会長や上級を立てること自体がいけないと言っているわけではないですよ、それが天理教の教えの本質ではないと言ってるんです。
天理教の教えはもっともっとステキで、毎日を楽しく過ごせるエッセンスが詰まっているとぼくは信じています。
今日も成人しましょう!